元関脇碧山が引退、年寄「岩友」を襲名 兄のように慕い42歳の若さで亡くなった元木村山の名跡

碧山(2024年5月23日撮影)

日本相撲協会は24日、最高位は関脇で東十両13枚目の碧山(38=春日野)の引退と、年寄「岩友」の襲名を発表した。

秋場所は5勝10敗に終わり、13年ぶりの幕下転落が確実となっていた。11月に40歳になる前頭玉鷲に次ぐ、関取衆2番目の年長として活躍したが、15年余りの現役生活に幕を閉じることになった。今後は春日野部屋の部屋付きとして、後進を指導。近日中に会見を開く。

09年名古屋場所で初土俵を踏み、故郷ブルガリアの先輩、大関琴欧洲の後を追うように11年名古屋場所で新十両、同年九州場所で新入幕、翌12年秋場所で新三役と順調に出世した。191センチ、181キロの恵まれた体格から繰り出される突き、押しは迫力十分で、組んでも右四つで強さを発揮した。もともと元前頭久島海が師匠を務めた旧田子ノ浦部屋に入門したが、師匠が12年2月に46歳で急逝。後継者が不在だったため、春日野部屋に転籍した。そこで最高位大関の栃ノ心、同関脇の栃煌山ら、同部屋となった同世代の関取衆と猛稽古を重ね、息の長い活躍ができる下地をつくっていた。

現在では多くの関取衆が、本場所中の朝稽古は軽めの調整で済ませたり、全く行わずに休息を優先するこも多い。だが碧山は常に、今年に入ってからも、連日、若い衆を相手に10番程度の申し合いを行うなど、稽古熱心な姿勢を変えていなかった。それでも最近は「いつまでやれるか分からない。32歳ぐらいから、もともとやっていた相撲ができなくなってきた。たまに体がついていかない時もある」と、漏らすこともあった。

転籍してきた身だが、名門・春日野部屋の一員としての誇りは人一倍だった。東前頭14枚目だった9月の秋場所で5勝10敗と負け越し、5年10カ月ぶりに十両に陥落。これが春日野部屋としては1967年(昭42)秋場所以来、実に56年ぶりとなる幕内力士不在となった。その直前には「部屋の歴史のことは知っています。プレッシャーはありますよ。あまり考えないようにはしているけど。でも何も考えていなかったら、それは部屋のことを考えていないということ。やっぱり歴史を途切れさせたくないですよ。春日野部屋の力士だから」と、熱く語っていたことがあった。

今月行われた秋場所では、部屋で唯一の関取だった碧山が千秋楽で10敗目を喫し、来場所の幕下転落は避けられない状況となった。だが直後の取組で、弟弟子で東幕下筆頭の栃大海が、4勝3敗で勝ち越しを決め、来場所の十両再昇進を確実とした。1935年(昭10)夏場所から、89年間も絶えることなく、十両以上の関取が在籍してきた部屋の伝統が継続されることも決定。それを見届けて、引退を決断した形となった。

「岩友」は、兄のように慕っていた、元前頭の木村山がつい最近まで名乗っていた名跡だ。だが先代岩友親方は7月、42歳の若さで急逝。名古屋場所初日の直前に、都内で行われた葬儀には碧山も駆けつけた。碧山は「寝ているだけな気がして信じられない。今にも『おっさん頑張ってるな』と、いつものように声を懸けてくれそうで…」と涙を流した。普段は「ダニー」、怒る時は「ダニエル」。そしてブルガリアから日本に国籍を変更してからは「コウスケ(本名古田亘右)」と、常に親しみを持って接してくれた。「教える天才だった」という故人の後を継ぎ、土俵上と変わらず、後進の育成にも全力を尽くす姿は想像に難くない。【高田文太】