横綱照ノ富士が引退決断「限界は明らか」入門から八百長問題や部屋閉鎖で移籍など波乱の土俵人生

初場所2日目、横綱土俵入りに臨む横綱照ノ富士

<大相撲初場所>◇5日目◇16日◇東京・両国国技館

横綱照ノ富士(33=伊勢ケ浜)が、現役引退の意向を固めたことが分かった。16日、複数の関係者が明かした。

東京・両国国技館で行われている初場所に、照ノ富士は2場所連続全休明けで臨んだが、4日目に前頭翔猿に敗れて2勝2敗と不振で、5日目のこの日に右膝と腰に痛みを訴えて休場を届け出ていた。慢性的な両膝痛や持病の糖尿病の影響で、横綱在位21場所で13度目の休場だったが、そのまま引退の意向も固めていた。今後は伊勢ケ浜部屋で部屋付き親方として、後進の指導にあたる。

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通算10度の優勝を誇った照ノ富士が、現役引退を決断した。すでに近い関係者には、意向を伝えていることが判明。関係者の1人は「体が限界なのは明らか。近日中に引退会見を開くことになります」と話した。自身も今場所2日目の前頭隆の勝戦で初白星を挙げた際に「今場所は自分の中でやれることをやって『駄目だったら』という思いがあった。今場所で自分の全てを出し切ってやりたいなと思っているので、後先考えずにやりたいなと考えています」と、今場所が最後の考えをほのめかしていた。

波乱の相撲人生だった。初土俵は11年5月の技量審査場所。当初は3月の春場所で初土俵を踏む予定だった。だが当時の大相撲は、前年からの野球賭博、さらには八百長問題に揺れ、春場所は中止となっていた。入門は元横綱の2代目若乃花が師匠を務めた間垣部屋で、当時のしこ名は若三勝だったが部屋が閉鎖。伊勢ケ浜部屋に移籍、しこ名を照ノ富士に改名した。順調に出世し、初優勝した15年夏場所後に新大関に昇進した。だが両膝痛、糖尿病などで序二段まで転落した。

だが不屈の精神で再び番付を駆け上がった。21年名古屋場所後に横綱に昇進。大関が序二段まで番付を下げて出場することも初めてという中、番付の頂点に立った。2日目の会場にはドルジハンド夫人、2歳の長男照務甚(てむじん)くんら家族を招き「勝っている相撲を見せられて、よかったと思います」と、最後の勇姿を見せられたことに、喜びをかみしめていた。今後は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)のもと、同じく部屋付きの宮城野親方(元横綱白鵬)らとともに後進の指導にあたる。近日中に引退会見が行われる。

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・杉野森正山。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル生まれ。11年技量審査場所初土俵。13年秋場所新十両、14年春場所新入幕。15年夏場所、関脇で初優勝を飾り大関に昇進。その後にけがなどで序二段まで番付を下げるも19年春場所で復帰。21年名古屋場所後に横綱昇進。同年8月に日本国籍を取得。家族は夫人と1男。192センチ、176キロ。得意は右四つ、寄り。

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