慶應義塾大学競走部は、1920年(大9)第1回「箱根駅伝」(当時の名称は「四大校駅伝競走」)に出場した4校の1校。東京高等師範(現筑波大)、早大、明大と合わせて「オリジナル4」と呼ばれる伝統校だ。32年(昭7)に総合優勝を果たした以降は低迷が続き、2017年(平29)4月、創部100周年を記念して本戦復帰を目指す「プロジェクト10カ年計画」がスタートした。同じ取り組みを行った筑波大が、20年(令2)の大会で26年ぶりの本戦出場を果たしたことも要因の1つ。

復活に向けて「白羽の矢」がたったのは保科光作氏(36)。同氏は日体大1年から駅伝選手として活躍、日清食品時代にはニューイヤー駅伝優勝メンバーに名を連ね、その後、同社と日体大のコーチを兼任した。コーチ歴を通して「身体の研究とパフォーマンスを成立させる研究」という理論を確立。「理論と育成力」が評価され、ヘッドコーチ就任となった。「スポーツ系の推薦入学がないので、高校時代の実績よりも入学者のレベルアップしか方法がなかった。そこで育成力が求められた」と分析する同コーチ。次回から競走部の現状、解決策、課題を3回に分けて特集します。

◆保科光作(ほしな・こうさく)1984年(昭59)生まれ、宮城県出身。東北高校、日本体育大卒業。日清食品グループ陸上競技部で選手、コーチを務め、2017年4月より慶應義塾大学競走部ヘッドコーチに就任。

[PR]