西武松井稼頭央新監督の野球人生を救った、中学時代のやんちゃな仲間

フェンス越しに少年に声をかける楽天時代の松井稼頭央選手

<コラム「輝け!少年野球の星」>

「輝け!少年野球の星」でコラムを始めます。第1回は入社32年の55歳、久我悟です。リトルシニア、ヤングリーグ、ポニーリーグ。日刊スポーツの首都圏版ほど、中学硬式野球の情報を掲載している新聞はありません。私は芸能から野球まで長く記者生活を送ってきましたが、その編集に5年ほど前から携わってきました。今年から試合を取材するようにもなりました。まだ数は少ないけど、夏の各団体の全国大会を25試合ほど取材しました。予選にも足を運んだから、日焼けはまだ色あせません。次男がお世話になる、ボーイズリーグの練習試合で審判をするからなおさらです。ライバル紙が、熱心に取材するボーイズのグラウンドにも足を運んでいる。今年に限れば、公私にこんなに幅広く中学野球と関わっている記者は、なかなかいないと思っています。さて、コラムです。

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思わぬ現実に直面した。7月のポニーリーグ全日本選手権で関東代表の強豪が早々に敗退した。試合にエース左腕の名前がなかった。タイミング的に感染症かと心配したが、監督はさばさばと「やめたんですよ」と教えてくれた。理由は通っている中学で所属するバスケットボール部に専念するためだった。週末は硬式野球、平日はバスケットに取り組んでいたが、最後の夏に向けてバスケットを選んだのだった。どこまで迷ったかわからないが、やりたいことがわかっているなら救われる。残されたスタッフや同僚の心中がしのばれたが、エースの退団で出番の増えた投手が、成長してきたのは幸いだった。

誰だって、野球から離れそうになったり、やめてしまうことがある。青春真っただ中、選択肢はいくつあってもいい。少年野球応援を掲げるコラムが、いきなり、やめたエースの話題で恐縮です。だったら、今度は甘い誘惑に負けそうになった思い出話を…。

来季から埼玉西武ライオンズで指揮を執る松井稼頭央新監督(47)は中学時代、若江ジャイアンツという大阪のボーイズリーグでプレーしていた。野球以外に、いわゆる〝やんちゃな仲間〟がいて、いつも銭湯に集まってから、たむろするのが楽しかった。いきすぎそうになったこともあった。そんな時、仲間から「まっちゃん(愛称)は野球があるからやめときや」と、止められた。みんな、野球の実力が飛び抜けているのを知っているから、いたずら心にブレーキをかけてくれた。

この話を聞いたのは2002年(平14)のシーズンだった。7年目の松井選手は俊足に加えて、長打力も飛躍的につけ、トリプルスリーを決定的にする30号を故郷の大阪ドームで放った。「あのころの友達がいなかったら、記録もできなかったからねえ」としみじみ語ったのが、忘れられない。あの友達がいなかったら、メジャーリーガーにもプロ野球の監督にもなれなかった。

そんな大成功は何年も経たないと分からないですね。だったら、今はやりたいことに一生懸命な少年少女を心から応援したいし、守ってあげられる友であり、大人でいたい。【久我悟】