<著名野球人インタビュー「あの時あの言葉」平石編第2弾>
西武平石洋介ヘッドコーチ(42)の野球人生をふりかえる第2弾。大分の小学校卒業後に親元を離れ、大阪の強豪・八尾フレンドで野球を続けた平石少年は名門PL学園へと進学する。松坂大輔擁する横浜との死闘、国内最大手のトヨタ自動車からプロ入りと冒険人生が続く。そして、3球団での指導経験から学んだコミュニケーション術など、大いに語った。
八尾フレンドからは上重聡投手(現日本テレビアナウンサー)と稲田学投手(現大阪ガスコーチ)とともにPL学園に進学。同期生は21人。うち5人が1年たたずに退部した。練習とともに寮生活の厳しさがあった。最近はOBがYouTubeなどで、当時の厳しさを打ち明け、時には笑い話にもなっている。理不尽ともいえるしきたりが多かったが、野球につながる面もあったという。
平石コーチ(以下敬称略) 厳しかったですね。でも、学ぶこともいっぱいあった。あいさつの仕方、話の聞き方、目配り、気配りは野球にも生きる。落ちているゴミを拾っても野球はうまくならないけど、それに気付くかどうか。視野が狭いと、とっさの判断や機転も利かない。先輩が何をしたいか、何が必要なのか? 先回りする要領の良さがなければ、いらんことにばっかり気を取られて、肝心なプレーができないんです。
厳しい寮生活をも前向きにとらえたが、ベンチ入りした1年秋に覚えた肩の痛みは、深刻だった。年が明けると激痛が走り、医師から手術を勧められた。中村順司監督(当時)が反対するほどの難しい手術だった。1度、大分に帰り「もうやめたい」と両親に相談すると「マネジャーでもいいから3年間頑張れ」と励まされた。「頑張れ」と言われると、ますますやめたくなるほど追い詰められていた。
6歳上の兄光一郎さんに「やめたい」と手紙を書いた。翌日、兄がやってきた。「やめたかったら、やめればいい。お前に野球をやって欲しいとは誰も思ってない。お前がここまで野球を続けてきて尊敬していた。やめたければやめればいい。でも、そういうお前を、俺は知らん」。兄の言葉で自分を取り戻した。そして、この当時の経験が、指導者となってからの教訓にもなった。
平石 「頑張れ」って、基本的に使わないようにしています。当たり障りない時は使いますけど、相手の心境によって、「頑張れ」はきつい言葉になりかねないですから。
2年生の春に手術を受けた。回復は遅かった。夏の大会が終わってもボールは握れなかったが、部員投票全員一致で主将に選ばれた。戸惑っていると上重と副主将になる三垣勝巳(現東農大北海道オホーツク監督)が言った。「みんなが選んだんや。投げられる投げられないは関係ない。お前に言われるなら、みんな納得する。だから、遠慮なくやって欲しい。何かあったら俺らがサポートする」。
スーパースター不在で、戦力的に「PL史上最弱」とも言われたが、代打でしか出場できない主将の下、まとまりはあった。センバツ出場を手にすると準決勝に進出。2―3で横浜に敗れた。肩痛が回復した夏は準々決勝で再び対決。平石は三塁ベースコーチからのスタートで8回裏に代打で出場。11回に先頭打者として左前打で出塁。犠打で二進後、4番古畑和彦は三振。大西宏明(現堺シュライクス監督)が打席に入ると、二塁ベース上から「目配り」が発揮される。
平石 古畑は暑さにまいっていたし、嫌な展開で大西が慌ただしく打席に入った。これはあかんと思い、とっさにタイムをとりました。スパイクのひもをほどいて、履き直しました。何とか「間」が欲しかった。
大西が松坂のスライダーをとらえ三遊間を抜くと、頭から同点の本塁に飛び込んだ。高校野球では厳禁の「時間稼ぎ」が、延長17回の激闘を生んだ。
同大を経てトヨタ自動車に入社するが、将来的にプロ入りする際は、ドラフト4位指名以上が退社の条件だったが、それを断った。キャプテンシーにほれ込んでいた元日本代表監督の川島勝司総監督から「将来はトヨタの監督をやってもらいたい」と打ち明けられた。ありがたかったが、気持ちは1つだった。「プロ野球選手になりたくて、中学から大分を離れて、冒険してきました。チャンスがあるのに、安定をとったら、一生後悔します。僕がトヨタに残っても、社長にはなれません。夢を追わせてください」。
平石 けっこうなこと言ってしまったんですけど(苦笑い)。人に決められた人生は、うまくいかなかった時に、人のせいにしてしまう。自分が選んだ道なら、責任感も違いますから。
04年のドラフト会議で新規参入の楽天から7巡目指名された。引退するまでの7年で通算37安打は、野手出身監督としては最少記録だ。指導者人生は現役を上回る12年目を迎えたのは、指導力が買われている証しだった。自分より実績が上の40代から、高卒ルーキーまで幅広く指導してきた。
平石 伝える力が大事だと思います。どんなにすごい経験をして、知識や引き出しを持っていても、伝え方が下手なら選手に入っていきません。だから、自主トレじゃないけど、今まで断ってきた講演の依頼もお引き受けして、話を聞いてもらう機会を増やそうかと思います。
最後に、若い世代と接する時に、気を付けていることを聞いた。
平石 野球も世の中も「昔はこうだった」って、昔が正解みたいに言われるけど、それも違うと思うんです。今の子らは、決してアホじゃありません。だから、納得や理解できないことには「なんでそんなことを?」となる。でも、理解してくれたら、絶対にやるんです。今は昔じゃない。メニューを考えてやらせるなら、なぜやるのか説明するのが、指導者の責任だと思います。
選手にも、難しい時代になったと感じている。
平石 情報が多すぎて、かわいそうなところもあります。「簡単に打てますよ」って動画がいくつもあったり、いろんな理論をいろんな人に言われて、パニックする選手もいます。選手は自分でチョイスする必要があるし、指導者は選手個々の状態を見てあげる必要があります。
一昨年オフ、ソフトバンクを離れ西武入りしたのは、楽天時代にコーチと選手として出会った松井稼頭央新監督(当時ヘッドコーチ)の存在があったからだ。誰よりも練習熱心で、年下の指導者へも気を配ってくれた。PL学園の5歳上の先輩と、頂点を目指すシーズンが始まる。決意の言葉はシンプルだった。
平石 いいところも、変えなくてはいけないところも、監督といっぱい話をしています。松井監督を男にしたい。そのためにライオンズに来ました。