SKE須田亜香里、自分自身を見詰めながら総選挙とともに成長/連載2

2013年6月、第5回AKB48選抜総選挙開票イベント 須田亜香里

SKE48須田亜香里(30)が、24日に愛知・日本ガイシホールで卒業コンサート「君だけが瞳の中のセンター」を行い、11月1日にグループを卒業する。真っすぐに向き合ってきた13年のアイドル人生を振り返る「須田亜香里の歩き方」第2回は、「選抜総選挙」を軸に、浮き沈みしながらも、前進してきた軌跡を追っていく。【取材・構成=大友陽平】

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バレエに区切りをつけつつ、18歳で自信も携えながら飛び込んだアイドルの世界。ところが、いきなり現実をたたきつけられることになる。

「最初に3期生が集められた時に、木下有希子ちゃんはハーフで、美人さんで、異次元の美しさで…。私は1番じゃないか…って思っていたら、小木曽汐莉ちゃんの顔がめちゃめちゃ小さくて、これは勝てないって…(笑い)」

最初に与えられたポジションは最後列。だが、持ち前の「負けず嫌い」な性格に、火が付いた。

「この中で、どうやったら1番になれるか? ということだけを考えていました。アイドルになれたことより、そういうところを見ていた感じでした。バレエのレッスンでも、先生が上手だなって思う子を、前に引っ張ってきたり、この前まで真ん中にいた子が真ん中じゃなくなったりということもあって、前に追い上げていく楽しさは経験していました。横一列に並べられたら選ばれる人にならないと気が済まないっていうのは、ずっと変わらずにあったので、序列をつけられることに、変な意味でのショックは受けなかったんです」。

どうやったら前にいけるか。どうやったらファンが自分を向いてくれるか。努力したことが、必ず成就するとも限らない芸能の世界。必死に前を向いて、最後列でも大きく踊った。

「劇場公演の演目も、誰よりも早く覚えなきゃいけないって思って…。周りに比べると18歳で年上だったので、そういう嗅覚はすごくあったので、どこのポジションだと早く出られるか? と空いてそうなポジションを自分で探して、勝手に覚えたりしてました。やっぱり負けず嫌いで、欲しいものがあると、力ずくでかなえにいこうとするタイプなんです(笑い)」

加入翌年の10年2月に正規メンバーに昇格。そして、「第2回選抜総選挙」(東京・JSBホール=現東京ドームシティホール)がやってくる。

「最初の総選挙が、自分の中ではすごく大きかったです。入って半年だったから、呼ばれなくてもしょうがないと、ランクインすることは全く目標にしていなかったんです。SKEの3期生は、AKB48の9期生と同じ日にデビューしているんですけど、島崎遥香ちゃんや山内鈴蘭ちゃんらがランクインしているのを見た時に『うわっ、無理じゃなかったんだ』ってすごく恥ずかしくなって…。SKEの横一列ばかりを見ることに必死になっていたけど、AKBの子たちはもう先にいっているんだって思ったら、私も負けちゃいけないって。燃えました」

翌年の総選挙で名前を呼ばれるために-。意識がさらに変わった。

「まずファンの人たちには、絶対に総選挙のステージに立ちたいって宣言したり、目標を口にしました。そしてどうやったら自分をみんなが向いてくれるのか…。ファンは増やすことができるとは気づけていたので、意識しながらパフォーマンスも工夫したり、まず見つけてもらわないと好きにもなってもらえないので、MCでも目立つ発言しかしないとか…。それを出そうとして空回りしたりとか…(苦笑い)。やり方は荒かったですけど、確実に見つけてもらおうと必死でした」

なかでも有名なのは、通称「ダスノート」。握手会に訪れたファンの特徴、ファンからもらった手紙やプレゼントの内容などを書き込んだ。

「なかなか覚えられないので、書いて覚えようと…。『やれることはやった! これで覚えられなかったらしょうがない!』って、テスト勉強と一緒です(笑い)。いわば“お守り”ですね。胸を張って、ファンの人と向き合えるかなと」

11年の「第3回選抜総選挙」(東京・日本武道館)。36位で初ランクインした。

「当時はランクインが40位以上だったので、36位でも十分すごくて、初めて自分に順位がもらえて、かなりうれしかったです。1年前、『あそこに意地でも立ってやる!』って思ってましたけど、本当に立たせてもらえたんだって。だた、同期の秦佐和子には順位(33位)で負けたので…。一目置いていた同期だったので、やっぱりすごいなって思った記憶もあります」

総選挙の規模も大きくなっていく中で、翌12年の「第4回選抜総選挙」(日本武道館)でも29位とランクアップ。グループでも中心的なメンバーへと成長していく。

「今思うと、その頃からキャラがつき始めました。まだ『自分が! 自分が!』という感じで、周りを乱すような目立ち方をしていたと思うんですけど、先輩方がうまく料理をしてくれるようになり始めたんです。先輩のスキルに今となっては感謝しかないんですけど、『腹黒だから』とネタにして笑いに変えてくれたり、チームの一員としていさせてくれていました。本当に先輩方に恵まれたなって思っています」

そしてついに、翌13年の「第5回選抜総選挙」(神奈川・日産スタジアム)で16位と選抜入りを果たした。「ステージの一番隅が私のポジション。3年半ずっとそのポジションでも、私を見つけてくださる方がいて、瞳の中のセンターにしてくれた」。卒業コンサートのタイトルにもなるスピーチも生まれた。

「もちろん、すごくうれしかったです。それまでAKB48の選抜に入ることも、(収録曲の)アンダーガールズにも入ったことがなくて…。後輩がどんどん選抜に入るのを見た時に、私は総選挙での結果は出るのに…。グループからは必要とされないのかな? 握手会にもたくさんの人が来てくれるのに、なんでこの人たちを私は喜ばせてあげられないんだろうと、握手会終わりにも、よく泣いてました。でも選抜入りして、景色が一気に変わりました。(選抜によるシングル)『恋するフォーチュンクッキー』でいっぱい世に出られましたし、SKEでの立ち位置も12番手から一気に4番手に上がって。ミュージックビデオにも、ソロでこんなにいっぱい撮ってもらって、こんなに映るんだ! って(笑い)。そして前に立って初めて、どういう人が前にいるとみんながやりやすいのか? というのを考えられるようになったんです」

まさに、ターニングポイントになった。一躍シンデレラガールとして、バラエティー番組の出演も増えていく。翌14年の「第6回選抜総選挙」(東京・味の素スタジアム)では10位。「次は神7」と期待も高まる中、15年の「第7回選抜総選挙」(福岡・ヤフオクドーム=現ペイペイドーム)で18位とまさかの選抜落ちも経験するが、それも力に変えるほど、客観的に自分を見られるようになっていた。

「ソロのお仕事がさらに充実するようになったきっかけは、実は順位が落ちたことでした。もちろんたくさんの人に期待してもらってた中で、18位になった時は、もう恥ずかしくてやっていられないくらい、悔しかったです。でも、自分のメンタルのコントロールだったり、思ったことをしゃべれていないことに気が付いて。それまでは『私はこういうことを求められてるんだろうな』とキャラを演じた上でしゃべっていたんですけど、それをそこから一切やめて、自分が思っていることを、ちゃんと話せる人になろうと思って、あまり背伸びしなくなったら、自然とお仕事が増えていったんです。正直な気持ちを言った上で頑張るということを続けていったら、言葉にもいつの間にか素直な力がついていたみたいです」

16年の「第8回選抜総選挙」(新潟・ハードオフエコスタジアム)で7位で選抜復帰すると、17年の「第9回選抜総選挙」(沖縄・豊見城市中央公民館)で6位、そして18年の「第10回選抜総選挙」(ナゴヤドーム=現バンテリンドーム)では2位に輝いた。日々の劇場公演、握手会で手を抜かず、紆余(うよ)曲折ありながらも、自分自身も見詰めながら、総選挙とともに成長。気付けば、グループの顔になっていた。(つづく)