往年の名優を父に持ち、シリアス、コメディー、時代劇…と、その活躍の幅は広い。デビュー39年の中井貴一(57)には隙がないように見える。盟友、三谷幸喜監督(58)の新作映画「記憶にございません!」(13日公開)では、記憶喪失になった総理大臣役で思いっきり笑わせる。オールマイティーの2世俳優を支えてきたのは、意外にも極度なネガティブ思考だ。

★9回目

三谷幸喜氏とは舞台、映画、ドラマの主な作品だけで9回目の顔合わせとなる。同学年、同じ東京・世田谷で育った。

「若い頃は育った環境や同い年ということを意識しないのですが、年齢が増して、過去を振り返るようになって同じ経験をしてきたことの重みが分かるようになりました。仕事をするたびに子どもの頃見ていた米国のコメディーの話をしていて、地べたをはいつくばるような笑いの中にも品があったね、そういうものをやりたいね、と」

今作では支持率最低の総理大臣が、記憶喪失になってのたうちまわる。

「映画監督と呼ばれる人は、たいていわがままで自分本位なんですけど(笑い)、三谷さんはいろんなことを気にされる方なんです。役者のコンディション、時間の制約や金銭的なことまで。少なくとも僕に関してはそんなことは気にせずに何でも言ってください、と。三谷さんのホン(脚本)の中には『何でっ』ていう部分もあるんですけど、芝居が進んでいくと、それが布石になって肝心の部分につながっていることが分かってくる。だから、どんなことでも、とりあえず思い切ってやってみようって気になるんですね」

2人が息を合わせたドタバタの極地が笑いを誘う。だが、この作品を含め、出演作は試写では見ないという。

「だって、自分の演技を見たら、他人(ひと)様に見てくださいなんて言えなくなるでしょ。ああしとけば良かったこうしとけば良かったとうじうじ考えて暗くなってしまいますから。プロデューサーから『見てよ』と言われて試写を見ていた時期もあるんです。そこから宣伝活動が始まるわけですから。でも、コメントに元気がなくなるんですよ。見ない方が無責任でいられる。自分の出演作は公開後にチケットを買って見ます。実はそこからがたいへんです。必ず落ち込みますから」

23歳の「ビルマの竪琴」を皮切りに多くの市川崑作品に出演した。完全主義者の監督は現場での撮り直しはもちろん、フィルムに焼き付け終わったシーンの撮り直しも辞さなかった。

「市川組ってラッシュ(撮影中に行う未編集プリントの試写)の後、100%リテーク(撮り直し)なんですよ。試写室から出てきたときの監督の顔を見て『あぁリテークだ』と…。あの思いがつらくてラッシュは見なくなりましたね。試写室に近づけなくなった」

★19歳で

父は往年のスター佐田啓二。3歳の誕生日を目前に交通事故で亡くなった。その父の思いを知りたくて、成蹊大学在学中の19歳で「体験的に」映画出演した。

「自分の将来を決める前にまずは父のやっていたことを理解しようと思ったわけですけど、そもそも役者の仕事やその思いというのがずっと分からなくて、『まだ分からない』という思いの繰り返しで今に至っている気がします」

デビュー以来39年間、貫いて来たこともある。

「仕事をダブらせないことです。とってもいいお話を同時に2本いただくこともあったんですけど、どちらかに絞ってきましたね。そうしないと気持ちが入っていかない。なりわいとして考えたら、掛け持ちしてやった方が良いに決まっているんですけど、この仕事をなりわいと考えられないところが僕にはあるんです。学生時代にこの世界に入ってしまって、まだ勉強中という気持ちがあるし、(1つの役に)気持ちを入れないとエンジンが掛からない」

デビュー間もない頃、父を知る人は、誰もがその非の打ちどころがない二枚目ぶりを引き合いに出した。

「子どもの頃から『お父様は二枚目だったのにねえ』と必ず『-のにねえ』が付きました。母は晩年、父の37歳の遺影を見て『ずるい。きれいなまま逝って』とよく言っていた。本人にその気はなくても、僕は違うんだという風に聞こえました。二枚目じゃないという風にすり込まれちゃった。俳優にはなれないし、なるつもりはないとずっと思っていました。親が生きている2世の方にもいろいろあると思うんですよ。でも、ウチの場合は父が亡くなると、周りにいた人はすーっと去っていくし、ちやほやされたことはありません。皆さんが想像している感じとはだいぶ違う。デビューのお誘いがあったときは正直エッ? と思いましたから」

★逆張り

シリアスからコメディー。演じる役の幅は広い。

「父がこう(典型的な二枚目)だったから、僕はこっちというつもりはないんですけど、日本人は100のうち80の人がいる方へ行きますよね。安心じゃないですか。でも、僕は20の方を選ぶ性格なんです。トレンディーなドラマがはやったときは、じゃない方のコメディーに行った。『ふぞろいの林檎たち』も三流大学生の話。憧れの世界のトレンディーとは逆に頑張れよ、と言われる方。主流じゃない方に価値観を覚えてきたんですね。『今これが主流なんです』なんて言われると、とたんにやる気がなくなっちゃう」

逆に周囲が止めに入ると、がぜん闘志に火が付くところがある。

「(NHK)大河ドラマ『武田信玄』のお話をいただいた時、周りからは一様に『やめた方がいい』と言われました。前作の『独眼竜政宗』の評判がすごく良くて、視聴率が下がればめちゃくちゃ言われるのは目に見えているし、でっぷりした信玄のイメージは当時25歳の僕にはそぐわなかった。だからこそ、やったんですよ。今思えば、それが僕のやり方なんですね」

「武田信玄」は平均視聴率40%に迫る数字を残した。逆張りの生き方は好結果につながったが、それに満足することはなかった。

「圧倒的につらいことの方が多かったですね。芝居って論理的じゃない。正解はない。監督や相手役の方との間でベストチョイスをしなければならない。作品を見たときにすがすがしく『やったあ!』と思ったことは1度もないんです。ああしとけば良かった、こうしとけば良かった。そんなことばっかり考えます。スポーツのように結果が出る潔さのない商売なんですよ。舞台では感情が入って気持ちよくできたときに観客の反応がもうひとつだったり、逆に体調が悪いときに『感涙』を絞ってしまったりする。自分の気持ちと結果がなかなか合致しない。だからこそ、続けるんでしょうね。自分の気持ちと結果が合致することを求めて」

年齢とともに役柄の幅は広がったが、年を重ねることには複雑な思いがある。

「演奏家なら、いままでの肺活量で出ていた音色が出なくなる。それと一緒で立て板に水のように言いたいセリフがそうはいかなくなる。それを『味』として良しとするか、限界とするか。先輩がそこに葛藤されている姿を見て、いいとこでやめといた方がいいかな、と。でも、自分で映画をプロデュースするようになって、その立場から考えると、やっぱりジジイって必要なんですよ。そう考えると、やめるのはひきょうって気もします。まあ役者って、仕事がなくなれば自然に引退ですから。昔のきれいな音色じゃなくても、今の音色が欲しいんです、と言われるうちはやっぱり続けるべきなんでしょうね」

【取材・相原斎】

▼三谷幸喜氏(58)

同い年で、50、60年代の米国の映画やドラマを見て育ったので、いろんなことに共通認識があります。今回はともに大好きなダニー・ケイの、人格豹変(ひょうへん)の面白さを反映させました。中井さんから「何でもやるから妥協しないでくれ」と言われたので、徹底的に追い込みました。気持ちで演技をされて芝居にうそがないし、キレのいい動きで面白さを表現できる。走ったり、転ぶ姿が魅力的です。演じてもらった2つの人格のうち、悪い方は今までになかったものだと思いますし、新鮮でしたね。

◆中井貴一(なかい・きいち)

1961年(昭36)9月18日、東京生まれ。81年、映画「連合艦隊」でデビュー。翌年「立花登 青春手控え」(NHK)でドラマ初主演。83年「ふぞろいの林檎たち」(TBS系)で注目され、88年のNHK大河ドラマ「武田信玄」で瞬間最高視聴率49・2%を記録する。信販会社のコミカルなCMなど幅広い役柄をこなす。04年の「壬生義士伝」で日本アカデミー賞、日刊スポーツ映画大賞の主演男優賞に。

◆記憶にございません!

三谷幸喜氏の10本目の監督作品。記憶喪失になった総理大臣が巻き起こすドタバタを描くコメディー。三谷作品初登場のディーン・フジオカの他、石田ゆり子、草刈正雄、佐藤浩市、小池栄子、斉藤由貴、木村佳乃、吉田羊らが出演。

(2019年9月1日本紙掲載)