歌手で俳優としても活躍する泉谷しげる(71)。仕事が途切れることはなく、三重・四日市市のプロモーションビデオ「続 必見!四日市」のほか、TBS系連続ドラマ「病室で念仏を唱えないでください」(金曜午後10時)にも出演中。来月には3日連続のライブを開催する。今年、デビュー50年目を迎えた“生涯乱入”の泉谷に、その生きざまを聞いてみた。

★団塊世代ど真ん中

団塊世代のど真ん中、1948年(昭23)生まれだ。同世代で鬼籍に入る人もいるが、泉谷は現役バリバリだ。

「長生きの秘訣(ひけつ)があるわけじゃないけど、同じ世代のヤツがチョクチョク死ぬ。寝ないで遊ぶ、ナンパする。こっちも1度無理がたたって倒れてるから、今は12時には寝る。まあ、ようやく健全になった感じだな」

「続 必見-」では医師の四日の市役だ。08年フジテレビ系「あんみつ姫」で意気投合した、四日市の翔こと京本政樹(60)と共演している。

「すごい金がかかってるし、編集もすごい。四日市というのは、コンビナートのイメージが強いけど、自然も多い。どうやってスポットを当てるか考えたら、思い浮かんだのが座頭市。で、京本が四日市の翔なら、俺は四日の市でどうだと。地域活性イベントもやりたいし、日の当たらない地域を盛り上げたい。四日市は、近くに伊勢神宮があるくらいだから、神秘的なんですよ」

2月15日から、東京の下北沢でライブを開く。3日間連続だ。

「下北沢は、演劇と音楽が止まったことのない街。3日間という無理難題を言ってきて、つらいんだけどね。スタンディングなんかやらねえよ。ちゃんとスペースとって座って、お酒でも飲みながら歌を聞いてもらう。俺たちの世代は、スタンディングじゃ疲れちゃう。俺は客が立ったら『座れ、お前ら。この曲は立って聞くもんじゃないんだ』って座らせたことあるもんね(笑い)」

★23歳で「春夏秋冬」

71年にアルバム「泉谷しげる登場」でデビュー。72年には、今も歌い継がれる「春夏秋冬」を含む同名のアルバムを、23歳の若さで発表した。75年には吉田拓郎、井上陽水、小室等とフォーライフレコードを設立。時代を大きく動かした。いわばフォーク界のレジェンドだが、本人はかたくなにそれを拒絶する。

「レジェンドにならないように。努力しないとな。フォーライフの時は、金のことは何とかなるだろうと思った。最終的には損得も考えなくちゃいけないけど、やってみないとな。アーティストがお金のことで、きゅうきゅうとしちゃいけないからさ」

70年代、20代で歌で生き方を世に問い掛け、自分たちのレコード会社まで作った。

「今思うとさ、あの頃の20代ってみんな、老けてたっていうか。それは貧乏から脱出できたからなんだろうな。70年代は高度成長の時代。だから4畳半フォークとか“貧乏のふり”もできた。貧しいこともテーマにできた。今は貧しさをテーマになんかできない。はっきり言って、俺たちは、すごい環境を生き抜いてるのよ。団塊の世代は、劣悪な環境の中で、数が多かったから競争しなきゃならなかった。席の数は決まっているんだから。だから、仲間を蹴落とし、裏切りも半端じゃない。俺も裏切ったよ」

★漫画家志望だった

実は漫画家になるつもりだった。だが性に合わず、フォークギターを手にした。

「漫画家になりたかったけど、時代が悪かった。なんせ、ビートルズをはじめ、いろいろなバンドの音楽が流れてくる。映画、演劇も全部が変わり、新しいものが出てくる時代だった。どうも性格が室内競技に向いてないんだな(笑い)。コリコリと漫画を描いていると、やっぱり外へ外へ、目立ちたがり屋、お調子者だから」

お調子者はギターを手に脚光を浴びる。同時に多才でもあった。79年、テレビ朝日系「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」で、犯人役を演じて注目を浴びた。31歳。今に続く、個性派俳優が世に出た。

「おかげさまで、その時その時、レベルの高い仕事ができた。結局エンターテインメントが好きなんだろうと思うね。全部に関わりたいと。やりたかったものをやる。好奇心と冒険心が強かった世代なんで。それくらいやらないと、勝ち残れなかった。みんなすごいから、あの時代は。拓郎、陽水も、矢沢(永吉)も含めて、1個1個のタマがすごいじゃない。戦う気は全くなかったけど、意識しないわけにもいかなかった。乗り越えていかないと、自分のやりたいことはやれない。有名になりたいのとはちょっと違う、生き残るってことだな」

★「目指せ偽善」です

チャリティーの人でもある。93年に北海道西南沖地震が発生した時には「お前ら募金しろ!」と1人フォークゲリラ。雲仙・普賢岳、阪神・淡路大震災、東日本大震災…、ずっと続けている。

「単なる、うちらの世代の罪滅ぼしだよ。ちゃんと開き直って『やらない偽善より、やる偽善。目指せ偽善』ですよ。だって、毎日はできないでしょ。偽善じゃないですか。いいんですよ、偽善で。偽善と言われた方が、気が楽。365日、被災者のことを考えられているわけないんで。だから、偽善です! って。言えちゃう自分が好き(笑い)」

★天才ならず人災に

加藤和彦、忌野清志郎…ともに歌った盟友たちが先に旅立っていった。

「俺の幸せは何かっていうと、俺の青春時代は周りが天才だらけだったこと。だから頑張れた。すごいやつらばっかりだったから。いいライバルと一緒に過ごせたのが何より。ただ天才ってのは、これは死ぬなっていうのを平気でやる。だから俺は天才にならずに人災になろうって(笑い)。天才って危ないんだから。それに、そこまでの度胸はない。自分を壊すほどの」

50年目を迎えても本業はライブ。生涯現役だ。

「やっぱりライブ。本業でもあり、はっきり言って体力ですから。終わるとヘットヘトになるんだけど、幸せの痛み。はっきり言えば体力自慢、節制です。みんなでぶつかっていたいし、言いたいこと言っていたいし。我慢は駄目だよな、我慢は。長生きしようと思って、やってるわけじゃないけど、やっていたいから。エンターテインメントは全てにおいて最高の武器だから。政治の悪口も言えるわけでしょ。『安倍、この野郎』とも言える。でも、エンターテインメントだから(笑い)」

★紫綬褒章とか駄目

それでも、前述したようにレジェンド扱いはきっぱりと拒否する。

「引退と一緒じゃない。だから紫綬褒章とかもらったら駄目だよ。来たら、断る。ただ、ノーベル賞ならいいかな(笑い)。誰も相手にしなくなっても、俺は現役だって言ってたいね。生涯乱入! いまだに、ももクロとやると乱入扱いだからな。そういう風に言われるのがうれしい。この記事だって乱入。日曜日のヒーローって言われる男じゃないよ。生涯ジーパンはいていたいし、革ジャン着ていたい」

ジジイになっても、泉谷しげるはいつでも元気だ。【小谷野俊哉】

▼京本政樹(60)

泉谷さんとは、ドラマでご一緒して12年になります。僕にとっては頼れる爺(じい)-「しげ爺」と呼ばせていただいています。泉谷さんは「京兄ぃ」と。しげ爺と久しぶりにご一緒出来て、しかも役柄がピッタリの「四日の市」。個性的な芝居のアイデアを出していただき本当に楽しい撮影でした。“シティープロモ時代劇”に新たな息吹を取り入れる、独特なせりふ回しと存在感で演じてくださいました。良い人なんです。実にかわいい方(笑い)。大好きな方です。思いやり、気配りのある方です。

◆泉谷(いずみや)しげる

1948年(昭23)5月11日、青森市生まれ。3歳から東京・目黒で育つ。漫画家を目指した後、71年「泉谷しげる登場」で歌手デビュー。72年「春夏秋冬」がヒット。75年に吉田拓郎、井上陽水、小室等とフォーライフレコード設立。13年NHK「紅白歌合戦」初出場。俳優として79年にテレビ朝日系「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」で注目を浴びる。ほかTBS「金曜日の妻たちへ」映画「野獣刑事」など。14年「三匹のおっさん」がヒット。血液型O。

◆TBS系「病院で念仏を唱えないでください」(金曜午後10時)

伊藤英明演じる松本照円は、救命救急センターに勤務する僧侶で、何かにつけ念仏を唱え説法する。照円が幼少の頃に亡くなった友達の父親で、本当の父のように慕う宮寺憲次を泉谷が演じる。

(2020年1月19日本紙掲載)