テレビ朝日系報道番組「スーパーJチャンネル」(月~金曜午後4時50分)に出演し、まもなく10年を迎えるのが渡辺宜嗣キャスター(65)だ。定年後も変わらず、同局で報道の最前線に立ち続けている。アナウンサーとして43年。好奇心を絶やさず走り続けるベテランが、今伝えたいこととは。

★「大御所扱い嫌い」

10年3月、「Jチャンネル」のキャスターに就任した。テレ朝の夕方の顔となり、まもなく丸10年。その間に60歳を迎えた。渡辺によると、帯番組のキャスターを務めながら定年となった例はNHKにも民放にもないという。

「会社も扱いに困ったんじゃないかと思うんですよね(笑い)。そこが始まりで、定年から5年間やってきたっていう感じです。ここから先も前例がないんですよね。65で、局のアナウンサー出身で、フリーじゃなくて、組織に所属している。その形は前例がないんです」

現在は、同局の専属キャスターとして1年ごとに契約を更新する。野球選手になぞらえて「戦力外通告もあるし、契約更新しないというのもある」と笑う。放送中の帯番組キャスターとしては、フジテレビ系「とくダネ!」の小倉智昭(72)に次ぐベテランだ。

「長いことやらせてもらってるなっていう感じです。こんな形で今もニュースの最前線で仕事ができているっていうのは、僕自身も意外なんです」

番組では自然と年長になってしまうが、フラットな立場を心掛けている。

「極端な話をすると、報道局長を含め、誰よりも年上なんです。一緒に共演している女性アナウンサーも、世代的には娘くらい。でも、同業者なのでお父さんっぽく扱われるのも抵抗があって。だからって大御所みたいに扱われるのは嫌だし、そういう風には意識しないでねって、時々みんなには話すんです」

★「もっと貪欲に」

今も一線でいられる基礎は、20、30代で担当した深夜番組「トゥナイト」と報道番組「ニュースステーション」で作られたという。

「『トゥナイト』では週に1、2回は歌舞伎町の風俗街へ取材に。どこへ行っても山本晋也監督の横に僕の色紙があったり(笑い)。『ニュース-』ではもっと大きなスケール感でニュースの取材に世界中を飛び回りました。僕はとびっきりの才能があるわけでもないし、しゃべりの天才でもない。でも見てきたものをいっぱい体に取り入れられたことが、今の大きな原動力になっているような気がします」

朝、昼、夕方、夜の報道情報番組を歴任した珍しい存在でもある。その中で蓮舫氏、田丸美寿々、丸川珠代氏、小谷真生子、安藤優子ら時の女性キャスターと共演した。誰もが好奇心旺盛だったという。

「昔はね、みんなそれぞれ個性というかパーソナリティーというか、色が鮮明だったと思います」

「僕は後輩に説教したりしないタイプなんですけど」と断りを入れつつ、後進に伝えたいこともある。

「人との出会いとかニュースのとらえ方とか、もっともっと貪欲になってほしいなって、今の若い世代へはちょっと物足りないところがあります。さっき名前を挙げたような皆さんは、ものすごく疑問を持つ。だから私は調べるんだとか、だから私はここへ行ってこの人に話を聞きに行くんだって。そういう発想をしている人たちなんです」

後輩たちには、自分の中に経験を蓄積して欲しいと願っている。9年前の東日本大震災発生時と、新型コロナウイルスが盛んに報じられる今に通じる空気を感じている。

「あの時は放射線量の問題で目に見えない不安みたいなものがあった。今回も同じで、ウイルスは姿見えませんから。よく分からない不安というか、不安定な心持ちになってしまっている。今、毎日ニュースを発信している世の中の空気感みたいなものをきちんと見ていて欲しい。それが僕の年齢からすると、とても大事なような気がしています。5年先か10年先か分からないけど、そういう中でニュースを伝えていることがきっとまた経験になる」

★「かみさんと…」

自分のことを「普通の人間なんです」とたびたび繰り返す。

「普通だからこそ見えるもの、感じること、思えること、それがとても役に立ってますね。この日本で普通に暮らしているからこそ見えるものっていうのを大事に。それはイコール多くの人が知りたい疑問なんですよね。番組を始めた時と変わらないのは、見てくださってる皆さんが何に疑問を持ってるのかなって。そこは一生懸命考えますね」

30歳で一般女性と結婚。時折夫人の話をする節に、愛妻家がかいま見える。仲人を務めたのは「ジェシー」の愛称で知られる元関脇高見山、渡辺大五郎氏だ。寝具メーカーのCMでおなじみのせりふをまねながら「幸せも2倍、2倍~!」と、当時の仲人あいさつをおちゃめに再現する。結婚当初は昼の帯番組が始まったばかりで、新婚らしい生活はできなかったという。

「軽井沢へ1泊2日しか新婚旅行に行ってないんです。かみさんにはね、不規則な生活を長い期間強いましたね」

65歳となり、テレ朝を離れた後のことも考えるが「仕事を辞めたらきっと一挙に老けるだろうな」と苦笑する。自分の心配をしつつ、定年を迎えると一定の趣味傾向を見せる世の男性へは「好奇心を持った方がいいですよ」と提案する。

「いま街へ出ると、定年を過ぎた男の人たちが紙袋もってスーパーから帰ってきたり、2、3本のゴルフバッグを抱えて練習場に行ったり。あと、何で定年になるとそば打ちするかよく分からないですけど。きっと何かやりたいんですよね。僕の場合は、まだおかげさまで仕事をやってます。でも、この仕事が終わったらそばは打たないで(笑い)、かみさんと旅行に行ったりっていう時代はすぐに来るんでしょう」

滑舌の衰えも感じるが、それは年相応ととらえている。「この仕事に終わりはない」「60歳を過ぎたら楽しいよ」という先輩アナウンサーの言葉が頭に残っている。渡辺にとっても希望の光となった。

「60いくつになるのか分からないですけど、それからフリーになってみるのも手かなっていう気はありますね。組織を離れたとしても、この仕事をやっていたいという好奇心さえあれば、僕が学生の時なりたかった『アナウンサー』という職業をまだ続けることができるんだと思えたんです。しゃべる仕事、あるいは調べに行って人に伝えるような仕事はずっとやっていけたらいいなと思ってます」

渡辺のアナウンサー人生はまだまだ続く。【遠藤尚子】

▼ともにキャスターを務める林美沙希アナウンサー(29)

渡辺キャスターは、いつも穏やかにどっしり構えていてくださるので、隣に座っていると「何が起きても大丈夫」という安心感があります。誰よりも勉強されている姿から日々刺激を受けています。そんな渡辺キャスターが「うちのかみさんがね~」とうれしそうにお話しされるのが私は大好きで、いつも楽しみにしています。ご家族の支えがあるからこそ、番組全体にも安心感が生まれるのかもしれません。

◆渡辺宜嗣(わたなべ・のりつぐ)

1954年(昭29)12月19日、名古屋市生まれ。明治大学商学部を卒業後、77年テレビ朝日入社。スポーツ中継、「トゥナイト」「スーパーモーニング」「ステーションEYE」「ニュースステーション」などのリポーター、キャスターを歴任。14年12月の定年後も、同局の専属キャスターを務める。現在は「朝まで生テレビ!」の司会も担当。180センチ。

(2020年3月15日本紙掲載)