「今年で最後」と、情熱を注いでいた全国ツアーがコロナ禍で延期となった。歌手高橋真梨子(71)。輝かしいキャリアの最終盤で未曽有の試練に見舞われ、先の見えないスケジュールと、歌手としての“残り時間”のはざまにある。「父の望んだ通りの歌手になった」「降りる時はちゃんと降りたい」。48年目の境地を語った。

★来年5月以降も未定

6月から予定していたラストツアーは、全公演が来年5月以降に延期となった。日程の詳細は未定。本来なら今ごろは、各地のステージでファンに集大成の感謝を伝えていたはずだった。「悔しいですよね。こんなことになって、いちばんカチンときているのは私じゃないかしら」。あえての笑顔に、受け止めるしかない心境が浮かぶ。

41年間続けてきたツアー生活の区切りは、音楽プロデューサーでもある夫、ヘンリー広瀬氏(76)と3年間さんざん話し合って決めたものだった。圧倒的なボーカル力は健在だが、「ツアーに関しては、納得するステージを毎回継続していくことが年々厳しくなった」という。

「年齢的に体調も芳しくなく、辞め際はきっちりしたいなと。フェードアウトではなく、ステージを降りる時はちゃんと降りたい」。コンサートは常に満員で、若い客層も増えてきたところ。「いちばんいい時にステージを降りてみよう」と決断した。望んだ引き際がかなうかどうかは、社会情勢次第という不安定な状況にある。

「声も年齢的にも、許されるのは来年までですかね。来年できなかったら、もっと年とっちゃう(笑い)。もう、なるしかないという心境です」

今は、48年の歌手生活で初めて、まとまった在宅生活を経験している。ユーチューブにはまり、50~60年代のアメリカンポップスに夢中だ。中でも、R&Bやロックの創始者の1人であるファッツ・ドミノ(17年に89歳で死去)の往年のパフォーマンスを視聴しまくっている。

「ここ何十年、自分以外の音楽にこんなに接するのは初めて。音楽はこんなに人を幸せにする強い力を持っているんだって、すごい発見をしています。朝昼晩見ても飽きない。というか、見ずには寝られない(笑い)」

洋楽への造詣は、子どものころから生活にジャズがあった彼女にとって自然なものだ。父はジャズプレーヤーの森岡月夫(享年39)。「生まれた時から父のクラリネットを聴いて育った。音楽が身近にあったことは恵まれていますよね。父はメカに強くて、LP盤を自動でかける装置を作ったりして、そこからジャズが流れてくるのを子供心に不思議に見ていました」

★アイドル路線に恐怖

14歳から博多でボーカルの勉強を始め、16歳でジャズ歌手を目指して上京。ジャズピアニスト柴田泰氏に師事した。

10代からジャズを志したのは、「アイドルではなく、大人の歌を歌いなさい」という父と、「最初にスタンダードジャズをマスターしておけば、ポップスも歌謡曲も易しくなる」という柴田氏の教えによるものだ。

「英語だし、難しいし、暗いし(笑い)。当時の私にはちっとも面白くなかったけど、2人の言う通りだった。どんな歌でも歌えたのは、2人が作ってくれた芯のおかげです」

ところが、東京で用意されたのはアイドル路線だった。所属していた大手芸能プロの育成方針によるものだ。「アイドルになりなさいと言われて、すごい恐怖心を感じて。向いていないし、本当に嫌だったの」と苦笑いで振り返る。高校卒業を機にさっさと東京に見切りをつけ、博多で歌うことにしたのも、自分の歌に徹するこの人らしい。

72年、「ペドロ&カプリシャス」の2代目ボーカルの誘いを受けた。博多にスカウトに来たリーダー、ペドロ梅村氏と一緒だったのがヘンリー氏だ。

「東京にはもう行きたくないという気持ちでお断りしたんですけど、前の人の穴埋めで、残っているコンサートを消化してほしいと。1年だけという約束だったので、それならやってみるかと」

1年の契約が終わるころ、「ジョニィへの伝言」(73年)が大ヒットとなる。自立した新しい女性像を打ち出した叙情的なバラード。阿久悠×都倉俊一のコンビが描く外国映画のような世界観を生き生きと表現し、一躍トップ歌手になった。その後も「五番街のマリーへ」「陽かげりの街」などが次々とヒット。カプリシャスを離れた後も、ソロとして音楽界の第一線を走ってきた。

★収録曲に「記憶ない」

あの時、博多に帰るタイミングを失ったまま、48年がたったのだという。「カプリシャスのころも、ソロになってからも、よし、成功するぞ! みたいな決意は全然なくて。2代目ボーカルも、ソロになったのも、たまたま拾ってくれる人がいて、私はその中でやっていればいいのかなと。こんな性格でここまで来られたのは、周りのみんなの支えと助けがあったから」

先ごろ、そんな48年の集大成として、CD4枚組67曲を収録したベストアルバム「高橋千秋楽」を発売した。カプリシャス時代のヒット曲のほか、80年代の「for you…」「桃色吐息」、90年代の「はがゆい唇」「遥かな人へ」「ごめんね…」など、ヒット曲に彩られた歌手人生がよく分かる。

収録曲への思いを聞くと「ディスク1の『夢ゆらり』って曲はまったく知らない曲で」と、カラッと笑う。ビクターの説明によると、諸事情により廃盤となっていた幻のセカンドシングルらしいが、「歌った記憶が…ないと思う」「メロディーが全然知らない」と場を爆笑させる。曲目リストに目を通しながら「自分ではすごいとは思わないけれど、文句を言ったら怒られるくらい恵まれた歌手人生だなって。私に音楽を教えてくれた、父の思った通りの歌手になったんじゃないかと思います」

ツアー以外の音楽活動は今後も続ける。「十分やった。やり残したことはない」という心境でも心から離れないのは、やはり延期になったラストツアーのことだ。

「フェードアウトは嫌。絶対に最後はツアーで終わってお客さまに感謝を伝えたい。でないと、最後にやり残したことあったじゃん! ってなっちゃう」【梅田恵子】

▼高橋の音楽プロデューサーでもある夫、ヘンリー広瀬氏

ペドロ&カプリシャスの2代目ボーカルに彼女を誘うため、ペドロ梅村さんと一緒に博多を訪ねたのが僕でした。歌を聴いたらしびれたんですよ。エキゾチックな不思議なにおいがあって、この人がグループに入ったら売れると直感しました。第一印象ですか? 横柄で嫌な女だな、って(笑い)。彼女も僕のことを「あちこち浮気して歩きそうな嫌な男だな」って思ったらしい(笑い)。ずっと一緒に音楽をやって、人生不思議ですよね。彼女は誰よりも強い一面と、弱い一面を併せもった人。40年以上、どんな時もツアーを続けてきてすごいと思います。延期になったラストツアーは、なんとしても実現させたいですね。

◆高橋真梨子(たかはし・まりこ)

本名・広瀬まり子。1949年(昭24)3月6日、広島県生まれ。ジャズ奏者だった父の影響で14歳からジャズを学んだ。72年にペドロ&カプリシャスの2代目ボーカルとなり、「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などがヒット。78年に「あなたの空を翔びたい」でソロ転向。代表曲に「桃色吐息」「はがゆい唇」「for you…」など。13年、29年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場し、紅組トリを務める。血液型A。

(2020年8月30日本紙掲載)