肥後克広(57)寺門ジモン(57)上島竜兵(59)のダチョウ倶楽部は今年、事務所所属35周年を迎えた。リアクション芸人として確固たる地位を築き、ダチョウ倶楽部一座も立ち上げ、愛知・御園座、東京・明治座で旗揚げ公演も行った。寺門は20日公開の映画「フード・ラック! 食運」で映画監督デビューも果たす。3人はこの35年を振り返りつつ、2人の巨匠への感謝を語った。

★35年やってきたことが映画に集約

93年に流行語大賞を獲得した「聞いてないよォ」を筆頭に「どうぞ、どうぞ」「押すな! 絶対に押すなよ!!」など、誰もが知るギャグをいくつも持つダチョウ倶楽部。熱湯風呂や熱々おでん芸などでリアクション芸人の地位を築いた。

寺門 周りの人との巡り合わせがよかったです。

肥後 流行語大賞を取れたのは、片岡鶴太郎さんが使った方がいいと推してくれたおかげ。使えば使うほど周りも使うようになって。いろんな先輩のおかげです。(ビート)たけしさんとか、志村(けん)さんとか、本当に恵まれていた。

すべり芸もその1つ?

上島 いやいや、受けるつもりでやってるんですけどね(笑い)。

寺門 竜ちゃんがいるだけでなんかニヤニヤしちゃう。味になってきたということじゃないですか。

この35年間、「現状維持」をモットーにやってきた。だが芸能界では「現状維持」が至難の業でもある。

肥後 本当はもっと売れたいけどね(笑い)。お笑い第3世代と言われてちょっとしたブームがあって、それが終わったら次にものまねブームが来て、いろんなものまねをやった。そのうちリアクション芸になって、のらりくらりですよ!

寺門 例えば、35年間テーブルを置きっぱなしにしていたら使い物にならなくなりますよね。時には拭いたり磨いたりが必要。おのおのが違うこともしたけど、その時代時代でいろんなことをやり続けてきた。それをいろんな人が助けてくれた35年でした。

この35年間で最も感謝する人を1人あげるとしたら誰になるのだろうか。

寺門 志村さんを期待していると思いますが、1番はビートたけしさんです。

肥後 たけしさんの「お笑いウルトラクイズ」から全てが始まった。

上島 きれいごとかもしれないけど、俺はやっぱりリーダーと寺門だな!

寺門 1人に決めるは無理。愚問だよ!

肥後 たけしさんの番組で火がついて、流行語大賞を取ったり、リアクション芸人として君臨していたのをコントの世界に引っ張ってくれたのが志村さんです。志村さんの作る笑いと、たけしさんが作る笑いは違うんです。

たけしはその時代にあった社会風刺的な笑いを作ったが、志村さんは全てを計算して笑いを作った。

寺門 たけしさんは「俺の笑いは5年後に見ると分かんないけど、志村さんのは10年たって見ても面白いものを作り上げている」とおっしゃっていた。でも、たけしさんの現場を見たからこそ、志村さんのすごさが分かった。コントなのに映画監督みたいにカメラ割りまで計算していて、コント作りの神髄を見せられた。そのおかげで、僕は映画が撮れたんです。

20日公開の映画「フード・ラック! 食運」で、寺門は監督デビューを果たす。

寺門 監督として初めての現場だったので、とにかく明るく楽しくを心がけました。志村さんはコント作りの現場でいろんなことにこだわり、出演者やスタッフさんと人間関係を築き上げていた。本当にすごいチームワークでした。自分はあそこまでたどり着けないけど、たどり着くべくやりました。35年やってきたことがつながってできた映画なので、絶対に見て欲しいですよ!

上島 映画を撮れたのは寺門の人間関係につきます。松竹を動かして、出演者も快く出てくれましたから。

★お笑い第3世代の大きな波

ダチョウ倶楽部の結成は事務所所属の5年ほど前。そこにはコント赤信号のリーダー渡辺正行(64)の存在があった。

肥後 渡辺さんが第1回新人コント大会を渋谷のライブハウス「ラ・ママ」でやることになって、そこに出てよと言われて軽く返事をしました。ある日、新宿歌舞伎町で映画館から出てきた渡辺さんと偶然会って「もうすぐだけど、ライブのネタできてるか」と言われて。僕は完全に(大会のことを)消去していたので「あっ、はい」と返事したら「今すぐメンバー集めてやれ!」と怒られたんです。それで慌てて電話してつかまったメンバーが南部(虎弾)さんを含めた4人でした。

結成当初は、後に電撃ネットワークを結成する南部虎弾(69)がリーダーだった。南部は87年に脱退している。

肥後 簡単に言ってしまえば方向性の違い。南部さんは過激な笑いを求めたけど、僕らはアットホームな笑いを目指していた。

上島 夜中に電話がかかってきて「ビー玉飲めるか」って。

肥後 自由にやってもらうのは良いんですけど、ネタ固めの場はちゃんとしたかった。でも、それを壊して「今日は壊せた」と、破壊思想が強すぎでしたね。でもその後電撃ネットワークを作って、あそこまでいくわけですから、すごい人ですよ!

新人コント大会ではウッチャンナンチャンらと腕を磨いた。そこで手応えをつかむとショーパブへの出演も決まった。そこにはヒロミが所属していたB21スペシャルらも出演していた。

寺門 あの世代の大きな枠にいたのが答えかもしれない。あの時、あそこにいた者がみんな売れたから。

芸歴35年のベテランは後輩を育てる立場にもあるが、後輩たちは大きく成長、活躍の場を広げている。

上島 事務所の後輩がまだ売れない頃に飲んだりしたけど、有吉(弘行)はかわいい子猫かと思ったら虎だし、土田(晃之)はかわいい子犬かと思ったらドーベルマンだった(笑い)。僕らが何かを教えたわけではないし、もともと才能があったんです。逆に後輩に育てられた方かもしれない。

肥後 「先輩後輩をやめて、俺たちは友達だ」と言ったこともありました。それ以来、土田は僕を“ヒゴンヌ”と呼ぶけど、それもうれしい。

今後はダチョウ倶楽部一座の舞台などを通じて、志村さんのコント作りを継承し、披露していくという。

肥後 志村さんの舞台「志村魂」に14年連続で出て、その流れでダチョウ倶楽部一座を立ち上げたので、それこそ志村さんの魂を継承していきたいですね。

寺門 あれを伝承しないと1つの文化が終わってしまう。

上島 毎年1回でもいいから、やっていきたいです!

先輩から愛され、後輩から愛され、世間から愛される存在。その強みは“やり続ける”こと。ギャグをやり続けることで伝統芸にまで昇華させた。「継続は力なり」。まさにこの言葉がピッタリだと感じた。【取材・川田和博】

▼所属事務所の後輩・土田晃之(48)

僕にできないことをされているので、ある意味憧れの先輩です。滑るし、面白くないこともいっぱいあるし、センスがあるかと言ったらそうでもない。それなのに第一線に出続けて、逆に天才だと思いますよ。上島さんはおじいちゃんなので、新型コロナウイルスといろんな数値に気をつけて元気で長生きしてください。ジモンさんは今ダチョウ倶楽部で一番太っているので、和牛ではなく海外の赤身の肉にこだわってみてはどうですか。ヒゴンヌはそのままでいい。今の自由なままでいてください!

◆ダチョウ倶楽部

肥後克広(1963年3月15日、沖縄県生まれ)寺門ジモン(1962年11月25日、兵庫県生まれ)上島竜兵(1961年1月20日、兵庫県生まれ)。1980年(昭55)に南部寅太(電撃ネットワーク南部虎弾)を含む4人で結成。85年に太田プロダクションに所属。87年にリーダー南部脱退後、肥後がリーダーに。91年日本テレビ系「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」で上島が優勝。92年から日本テレビ系「スーパージョッキー」にレギュラー出演し、熱湯風呂でリアクション芸を確立。94年には日本テレビ系「24時間テレビ」チャリティーマラソンランナーで100キロを3人の交代制で完走。

◆映画「フード・ラック! 食運」

芸能界屈指の食通、寺門ジモン初監督作品で、EXILEのNAOTO(37)土屋太鳳(25)のダブル主演。下町の人気焼き肉店を舞台に、「食」を通じて親子の愛情を描く人間ドラマ作品。

(2020年11月1日本紙掲載)