肺炎のため21日に亡くなった、平尾昌晃(ひらお・まさあき)さん(享年79)の次男で歌手の平尾勇気(36)が23日、取材に答えた。父から「詞をもってこい」と言われるも、病状悪化もあり、実現できなかったことを悔やんだ。

 平尾さんが亡くなった21日、勇気は仕事で名古屋に滞在中で、父が吐血し容体が急変したという知らせを受けた。午後10時過ぎで新幹線はない。愛知県内に住む兄と、車で都内の病院に向かったが、最期には間に合わなかった。事務所のスタッフらがみとったという。

 2カ月ほど前、自宅療養中の平尾さんを見舞った。勇気は「普段は厳しいんですけど、その時は『おお、勇気。どうだ、最近』と、優しい感じでした。弱っているのかな、と少し寂しく思いました」と振り返った。この時が、父に会った最後になった。

 勇気作詞、平尾さん作曲で、曲を作る企画もあったという。3~4年ほど前、平尾さんは勇気に「詞を書いて持って来い」と言い、自分が作曲する意思を見せた。しかし14年末、もともと肺に持病があった平尾さんが体調を崩し、15年1月に危篤状態にまでなった。勇気は「そこから徐々に弱っていったので、2人で曲を作るまではいかなかった。後悔がいっぱいあります」。

 平尾さんは音楽について常々、みんなが聞きやすい歌を作りなさい、とアドバイスしてくれたという。勇気は「音楽が活力になっている人でした。優しくてかっこよくて、尊敬する父でした」と話した。

 通夜は28日、葬儀・告別式は29日で、いずれも家族葬で営まれ、喪主は長男が務める予定。