一方土屋氏には、欽ちゃんの自撮りを含め膨大な映像素材が残された。土屋氏は「つなげたら8時間くらいのものが、編集していたら2時間くらいに。それで去年の秋くらいに映画にしようと思った。ちなみに60歳で映画監督デビューです(笑い)」。土屋氏は現在、日本テレビで、新たな映像の活用方法を研究する部署に属している。欽ちゃんは「その後もカメラを抱えて来るから、僕の葬式に流す映像にちょうどいいなと思っていた」と苦笑する。

 映画のエンディングではドローンで撮影した映像も流れる。土屋氏は「僕にとって追いつきたいけど追いつけない師匠、常に動き続ける萩本欽一の貴重な映像です。『電波少年』をやった時、自分が欽ちゃんから何を教わったか分かった。それは奇跡を起こすこと。それを伝えていきたい」。

 欽ちゃんは「テレビは、他人の意見は聞かずに自分の好きなことをやればいい。まさか映画を撮ってるなんて、つい最近まで気が付かなかった。人生の中で唯一の納得のいかない仕事だね」と笑っている。【小谷野俊哉】

 ◆萩本欽一(はぎもと・きんいち)1941年(昭16)5月7日、東京生まれ。66年に坂上二郎とコント55号を結成。「スター誕生!」「オールスター家族対抗歌合戦」などの司会、80年代「欽ドン!良い子悪い子普通の子」「欽ちゃんのどこまでやるの!」など民放各局ゴールデンタイムでレギュラー。15年4月から駒大仏教学部で学んでいる。家族は夫人と3男。血液型A。