8月15日は終戦の日。今年で72回目を迎えました。

 今は、亡き母は小学生の時、はるか遠くを飛ぶB29を見ながら、竹やりで「えいっ、えいっ」と空を突きました。学校の授業です。「竹やりで飛行機が落ちるはずがないのにね」。幼い私にそう言っていました。

 同居していた祖父は傷痍(しょうい)軍人でした。「体の中に戦場で受けた弾の破片が入っている」。母からそう聞きました。

 近所に片足のないおじさんがいました。祖父と同じ傷痍(しょうい)軍人です。残る片足で自転車を器用に乗りこなして、時々、わが家に来ていました。2人で何を話していたのか、その内容は分かりません。ですが、いつも小声で話をしていて、笑顔がない。そこは日常とは違う空気感でした。

 近所に住む「センゾウさん」の妻は、かつて兄の妻だった人。兄は結婚をしてすぐに戦地に向かい、帰らぬ人になったそうです。

 振り返ってみると、戦後20年目に生まれた自分の周囲には戦争の爪痕や記憶がありました。

 では、平成に生まれたわが子はどうでしょうか。実体験はもちろんないし、日常生活の中に、戦禍を思わせるものもいません。

 戦争の記憶をどうつないでいくのか。多くの人と同じように私もまた、模索しています。