7月13日に85歳で亡くなった劇団四季の創設者で演出家の浅利慶太さんの「お別れの会」が18日、都内のホテルで行われた。本来なら、自由劇場か、横浜の四季芸術センターで行いたかったようだが、スペースや参列者の利便性を考えて、都内ホテルの大宴会場での開催となった。

祭壇上の笑顔の浅利さんの写真の周囲には約18種類、約1万8000本の花で飾られた。幅広い交流を誇っただけに、政界から中曽根康弘元首相、森喜朗元首相、小沢一郎衆院議員をはじめ、三田和代、浜畑賢吉、加賀まりこ、市村正親、石丸幹二、久野綾希子ら元四季の俳優たち、有働由美子アナも参列した。

会は午後1時に始まり、約20分間、演劇への思いを語る浅利さんのインタビュー映像が流れた。50代、60代、70代、そして晩年と、長い年月に収録された映像だったが、そこで浅利さんが語ったのは、「人生は素晴らしい、生きていてよかった、と思っていただくことが我々の仕事」「劇場は最高の芸術の場」「観客に感動を届けたい」という、時代を超えて発信続けた熱いメッセージだった。

その後、ミュージカル「コーラスライン」の「愛した日々に悔いはない」が劇団員によって献歌され、妻で女優の野村玲子(57)があいさつに立った。「主人は85年の人生を演劇にささげ抜き、この世を去りました。生きる勇気と感動をお客さまにお届けする。これが主人の変わらぬ思いでした。主人は人間が好きでした。仲間が好きでした。役者の新しい才能を見いだし、その成長する姿にいつも目を細めて喜んでいました。その眼差しは20歳で劇団を創立した当時から少しも変わらない純粋な演劇青年の瞳そのものだったように思います」。

午後2時半からは一般の参列を受け付け、計3200人が献花した。晩年の浅利さんは1人の演劇青年に戻って、演劇に打ち込んだ。石丸は「亡くなってからの方が、浅利先生を身近に感じられます」としのんだ。参列した3200人の心の中に浅利さんは生き続けている。