春の褒章が20日付で発表され、漫才コンビのオール阪神(62)巨人(67)が紫綬褒章を受章した。発表に先立ち、大阪市内のホテルで、金びょうぶを前に会見した巨人は「光栄で誇りに思います」と感極まった表情。阪神は「布団の中で1人、ニヤッとしてます」と照れつつ喜んだ。

ボケ、つっこみをスピード感満載で重ね合う。上方伝統のしゃべくり漫才を昭和から平成、令和へと体現している阪神・巨人。テレビ全盛の時代が来ても、巨人は「舞台で使う漫才は絶対にテレビでやらない。やるなら引退するとき」との意地を貫き、舞台を愛してきた。「それをね、国家をあげての功績と評価していただき…」と感謝した。

ともに吉本新喜劇で活躍した故岡八郎さん(後に八朗)の弟子。5学年差で、巨人を「あんちゃん」と慕ってきた阪神も「1人ずつは50%でも、2人になったら200%」と言い、他人コンビで継続してきた絆に感無量の表情だった。

全国的に漫才より落語の受章者が多く、上方漫才では93年に初めて、上方伝説の兄弟コンビ「夢路いとし・喜味こいし」が受章。17年には夫婦漫才の宮川大助・花子が続いたが、他人同士のコンビでは上方初だ。

「いやね、僕は阪神君を家族以上、嫁以上と思ってます」。阪神は高校卒業後、就職することもなく、岡さんに弟子入り。「5・5歳下」の弟弟子を、巨人は「阪神君が悪いことせんように、親的感覚でやってきた」と振り返る。

今年3月、脳梗塞で阪神が入院した際は「家族以外は見舞いお断り」の状態だった。巨人は「俺は家族以上やから」と見舞いに行き、面会を許された。

阪神も、巨人が肝炎を患った際、つっこみで腕に触れるとスポーツ万能で肉体自慢の巨人の腕が細くなっていることに気づき「気にしてると思って言わんかったけど、でも段々戻ってきて、体調も良くなってんのかな、と。暗黙の了解でした」と明かす。

もはや血縁を超えた絆がある。ただ結成45年、危機は何度もあった。駆け出しの頃は、巨人が20歳なら阪神は15歳。「あんちゃんに腹立ててもあかん。巨人さんの言う通りに」と阪神は言うものの、反抗期はあった。未成年で喫煙もした。そのたび、巨人が阪神を叱責(しっせき)。ケンカも重ねてきた。

最大の山は巨人が「漫才適齢期を考えて45歳でやめよう」と描いたプランだった。巨人は「せやけど、阪神君が借金あったり、離婚したりで、それにも感謝してます」と苦笑。人生の山も2人で乗り越えてきた。

ともに根底にあるのは大阪への思い。コンビが若手時代、横山やすし・西川きよしらが東京で活躍しており、巨人は「東京でご飯誘われて行ってもお金がなかった。お金が山盛りあったらな」と笑わせたが、漫才といえば「上方」の意地が根底にあるのは相違ない。

「まじめにまっすぐ、間違いを起こさず、ルールを守ってやってきたのがよかったかな」と巨人が言えば、阪神も「高校を出て初めての仕事、生涯続けられてよかった」。弟子への厳しい指導で知られる巨人には「後輩のために」の思いが強い。相手を思うから怒り、たしなめ、理解を待つ。漫才も同じだ。

巨人は「後輩のために頑張ってきた。漫才で頑張ってればいいことがあると、伝えたい」とも言う。

50周年まであと5年。巨人は「何か、やらないかんのかな。パワーは落ちても笑いの量は落とさへんように。若い子にも負けへん」自負はある。阪神も脳梗塞から復活し「神さんがまだやれる言うてるんやな」と意欲を見せた。

互いに留意し、気遣うのは健康面。巨人によると、阪神は脳梗塞を機に喫煙と「夜中のアイスクリーム」をやめたという。阪神は「(50周年まで)あと5年、いけるかなと思います」と言い、巨人も大きくうなずいていた。