腎不全のため、68歳で亡くなった元吉本新喜劇の看板座長、木村進(きむら・すすむ)さんの通夜が21日、大阪市都島区の「コスモール都島」で行われ、盟友の間寛平(69)が取材に応じた。

「こないだも会うたからね、うん、会うたから。(棺に眠る木村さんは)見てない。こないだね」

寛平は、木村さんが亡くなる前日に見舞っていた。「去年の12月ぐらいかな。俺のことも分からんようになってて、こないだも、ずっと声かけとったけど…」と声を振り絞った。

木村さんは88年に脳内出血で倒れ、左半身がまひ。車椅子で暮らしていたが、新喜劇を退団後も、寛平は3~4カ月に1回、木村さんに会っていた。3年前、自宅を出て施設に入居した後も面会は続けていたが、徐々に木村さんの意識は衰えていったという。

思いが強すぎるゆえ、あえて最後は会わなかった。思い出すのは、新喜劇での駆け出し時代だ。博多淡海の息子として生まれ、19歳で新喜劇入りした木村さん。その半年前に入団し、くすぶっていた寛平さんを誘い、「おれについてこい」とゲキ。すでに既婚者だった木村さんの家に転がり込み、夫人がアルバイトで得た収入から食事をごちそうになったこともあった。

すぐに頭角を現した木村さんに刺激され、寛平も出世。木村さんは23歳で、寛平は24歳でほぼ同時期に、座長にまで登りつめた。

木村さんの口癖は「俺は赤ん坊のときから舞台に立ってたらしい」。寛平は「誰よりも芝居に熱くて、芝居が好きで、2人芝居も(口伝で)教えてもらってやったけど、言う通りにしゃべったら、めちゃくちゃうける。これをもう1回やりたい、とずっと言うてた。僕もやりたかった」と、唇をかんだ。

闘病30年の末に力尽きた盟友を思い「芝居、またやりたかったと思いますわ。ほんまに。僕が今あるのは進ちゃんのおかげや。ほんまに」と感謝した。

寛平と同じく、新喜劇での生きる道を教えられたのが池乃めだか(75)。漫才から33歳で新喜劇に転向しためだかは、当時20代半ばの木村座長を「ものすごい貫禄があった」と振り返る。

舞台袖で木村さんの芝居を見て「芝居で笑わせるすごさ。ずっと盗んだろ思うてやってた」。一方で、寿命を縮めた可能性もある飲酒についても「袖にあったボトルをこっそり飲んでみたら、ものすごい濃い水割りやった」という。

吉本を離れても友情が続いた寛平、木村さんには「しっとするほどの信頼関係やった」とも吐露。自身は10年以上前から会っておらず「忙しさにかまけてね。もっと会いに行けばよかった。あんなにやせてたんやな…」と、木村さんの姿を見て、絶句していた。