作家の安部譲二さんが2日に亡くなった。82歳だった。訃報を聞いて、26年前のことを思い出した。

東京・渋谷のNHKで取材していたところ、社会事件の会見が開かれた。今から思えば、怪しい会見だった。記者クラブではなく、スタジオの前の廊下だか前室だかで、ある著名人の義母だという人が話しだした。

その著名人は覚醒剤使用で逮捕され、そのグッズを売るチャリティーオークションを、友人である安部さんの協力を得て開くという内容だった。集まった金銭は、著名人の生活費などに充てられる予定だという。

実は、別の記者が取材するはずだったが、遅刻して現場に現れなかった。たまたま現場に居合わせた記者が、急きょ取材した。会見が終わる頃になって、本来の担当記者が到着。記者は元々予定されていた、自分の取材をするために現場を離れた。

締め切り時間が迫って、記者が記事を書くことになった。25行ほどの短い記事だ。遅れてきた担当記者が、その後にどう取材したのか、通信社からの配信があったかも分からない。

その数日後、たまたま会社にいたところ、安部さん本人から電話が入った。チャリティーオークションなど聞いたこともないこと、著名人の義母という人とは面識などないこと。

びっくりして、しどろもどろに答えたのだと思う。要領を得ない言い訳に、安部氏の怒りが爆発した。

「お前は俺の名前を汚す気か!」

ただでさえ小さい肝っ玉が、さらに縮み上がった。ただ、恐縮するばかりで、上司と相談するということで、取りあえず矛先を収めていただいた。

その後は「謝るのが俺の仕事だから」という上司が、安部さんに謝り、取材して、その言い分を記事にしてくれて、問題は解決した。

安部さんは刑務所体験を書き、87年に出版した小説「塀の中の懲りない面々」がベストセラーとなり、タレントとしても活躍していた。こわもての風貌とは裏腹に、丁寧な言葉遣い。そして何より、安藤組、小金井一家というアウトローの経歴が注目を浴びていた。

そんなさなかのトラブル。電話越しに怒鳴られて震えた記者ではあったが、その一方で「さすが本物は違う」と、その迫力に感じ入りもした。好きな映画は「仁義なき戦い」シリーズ、愛読誌は「実話時代」という“任侠好き”の記者にとって、90年の山口組と二卒会の八王子抗争取材以来となる“本物”との遭遇だった。

芸能記者といえども、暴力団排除条例や闇社会問題を扱うことが多い昨今。安部さんの訃報を聞いて、あのド迫力を懐かしく思い出した。

今回、当時の案件をネットで調べたのだが、インターネットなどない時代。その案件が、全然ヒットしない。あるのは日刊スポーツ独自の記事検索システムの1993年(平5)7月16日付の記事だけだった。

安部さんのご冥福を、心からお祈りします。