脳幹出血のため9日に亡くなった落語家、桂三金(本名・奥野武志=おくの・たけし、享年48)さんの葬儀・告別式が13日、大阪市北区の大阪北玉泉院で行われた。94年入門の同期、桂吉弥(48)や桂春蝶(44)など約300人が参列し、師匠の桂文枝(76)が弔辞を読んだ。

三金さんは8日に大阪・天満天神繁昌亭で開かれた「落語家25周年ウイーク」に出演していた。吉弥は亡くなった9日のことを振り返り、「土曜日の朝に僕がラジオの打ち合わせをしてたらLINEのグループがじゃんじゃんきて『三金の助(代役)誰か行ったられへんかな』って。今までインフルエンザとかの連絡はきてたから、それくらいかと思った」。

吉弥はラジオの仕事から一門会に行き、「三金どうなん?」とLINEのグループトークで聞いたところ「集中治療室におるらしいで」と聞いたという。「病院に集まったんが夕方6時半。一門の人も文枝師匠もいて、同期もだいたい集まった。(三金は)意識がなかった。みんなでおなかを触った」と、明かした。

「落語家25周年ウイーク」は、三金さんが中心になって企画したといい、吉弥は「とにかくアイデアマン。自分がウケたらいいとかっていう欲がなくて、芸人としてはめずらしいタイプだった。悪いことを言う人はいなかった。ほんまにおらんのかな。信じられへん」と話した。

同期で追悼公演を行うかの問いに「やるでしょうね」と答えた。

春蝶は「同期が個性あふれるメンバーで、三金くんは(大きめの体の)キャラを確立してた。無理して食べているところもあったんじゃないかな。不摂生のアスリートみたいな」と、同期が三金さんの体を常に心配していたことを明かした。

体重120キロを超える体が特徴的だった三金さん。春蝶は出棺の様子を「大きすぎて2階から出棺できなくて、1階から出ますってなったとき、館内は爆笑だった。それは来てる人がみんな(三金さんを)分かってるから」と話し、「同期でも彼だけちょっと嫉妬します」と語った。

三金さんには「あなたがいたから頑張ってこられた」と声をかけたという。

師匠の文枝は泣いて少し言葉を詰まらせながらおよそ5分の弔辞を読んだ。「三金、こんな狭いところで寝てる場合と違うぞ。君には狭いだろう」と始め、約550人が参列し、12日に行われた通夜について「ものすごい人やった。お供えの花の数も」と続けた。

この日の告別式にはおよそ300人が参列。文枝は「これだけの人を集められるねん。これからいっぱい落語会ができたんです。まるで神隠しにあったように今から4日前、みんなの前からいなくなって何考えとんねん」と悔やんだ。

文枝は三金さんの創作落語の会のギャラが、所属する吉本興業から振り込まれたとき、間違えて違う人のところに振り込まれたこと触れ「さんずの川で船賃持ってないやろ。ほんなら船から出ていけ言われて、こっちへ戻ってこれるかもしれへんやないか。三金、帰ってきてくれ」と語った。

「僕を師匠に選んでくれてありがとう」と感謝し、最後は「三金のアホ」と話した。