俳優梅宮辰夫(うめみや・たつお、本名辰雄=たつお)さんが12日午前7時40分、慢性腎不全のため、神奈川県内の病院で死去した。

81歳。東映ニューフェースとして芸能界入りし映画「仁義なき戦い」など実録路線でスターに。6度のがんを経験も、今年10月までドラマ現場で俳優魂を見せていた。14日に密葬が営まれる。喪主は未定。お別れの会は所属事務所などが検討中。長女でタレント梅宮アンナ(47)妻クラウディアさん(75)も含め、幅広く活躍した。

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梅宮辰夫さんは、俳優活動以外にも料理人、実業家、釣り好きなど多くの顔を持ち、マルチに活躍した。 有名なのは「梅宮辰夫漬物本舗」の漬けもの「辰ちゃん漬」。梅宮さんが味の提供や監修をして開発され、販売店は89年8月に第1号店が長野・軽井沢にオープンし、フランチャイズ化して一気に100店舗レベルの全国展開となった。同商品には今も梅宮さんの味が守られている。

94年7月には東京・目黒区にコロッケ店「梅辰亭」をオープン。当時の販売会社取締役の梅宮さんが考案した「梅辰コロッケ」「すきやきコロッケ」など約10種類が店頭に並んだ。「月額600万円を目指します」と話していた。「梅辰亭」第1号は長野店。当時は月平均500万円を売り上げていたとされる。名古屋では焼き肉店「炎園」の事業にもたずさわった。

料理の腕もプロ級。94年11月にはフジテレビ系料理番組「料理の鉄人」に出演し和食の鉄人、道場六三郎氏に挑戦したこともある。同年には神奈川・湯河原町で「梅宮辰夫と鍋(なべ)自慢大集合」と題した鍋料理コンテストを開催。85年1月から87年12月までフジテレビ系「くいしん坊!万才」の6代目リポーターも務めた。バラエティー番組などで料理の腕をしばしば披露した。

釣り好きでも知られ、17年1月に亡くなった盟友松方弘樹さんとはよく一緒に釣り番組に出演した。3歳で始め、当時住んでいた旧満州ハルビンで父親がライギョ釣りをしていたのを見たのがきっかけ。家族は戦後、茨城県に移ったが、梅宮さんは近所の那珂川で連日ウナギやナマズを釣っていたという。芸能界デビュー後もオフには日本各地や海外で釣りを楽しんだ。日本では九州・五島列島の磯釣りがお気に入りだった。