日活の映画スターだった宍戸錠さん(享年86)は、ドラマはもちろんテレビのバラエティー番組でも活躍した。レギュラーを務めた日本テレビ系「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」(69年10月~71年3月)で構成作家を務めた、劇団ワハハ本舗主宰の喰始氏(72)が21日、宍戸さんの死去を悼んだ。映画界のスターだったが、バラエティーでも偉ぶることなく、順応したと振り返った。

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喰氏は宍戸さんが亡くなった前日の20日、毎月開く自身の関わった映像を見る会で「ゲバゲバ90分」の映像を見たばかりだと言う。「元気な宍戸さんの姿を見ていたので、びっくりしました」と肩を落とした。

映画「渡り鳥シリーズ」のハードボイルドなエースのジョーで知られた宍戸さんだが、素顔は気さくだったという。喰氏は「エースのジョーが顔の前に人さし指をかざしてキザに『チッチッチ』とやって笑わせたのは画期的なこと。非常にひょうきんな方で、ゲバゲバのパーティーでも幹事を買って出て『2次会は…』とか、いい方でした」と振り返った。

日本テレビ1期生で「光子の窓」「スター誕生!」などを手掛け、とんねるずの名付け親として知られるプロデューサーの井原高忠氏が、映画のスターをバラエティーにということで宍戸さんを起用したという。喰氏は「宍戸さんは、これからはテレビの時代と分かっていた。現場でも偉ぶることなく、次から次へと収録しなければならないのでほとんど休息時間がなくて、井原さんから『高いギャラ払ってるんだから』と言われても『おいおい大変だな』と、大変やりやすい人でした」。

宍戸さんは、56年にトレードマークとなるほおをふくらませる手術を受けた。「自分の個性が弱いということで、石原裕次郎さんとかのスターに対して、どう対応するのかを熱心に研究したからだと思う」。60年代から70年代へかけて、時代は映画からテレビへと動いていた。「あの時代は映画界はテレビをバカにしていたけど、テレビは映画に負けるものかと頑張っていた。宍戸さんは時代を読み取る能力があった。偉ぶらずに、20歳そこそこの僕にも『なんでもいいよ。面白くやってくれ』と接してくれました。もう50年も前のことですが…。ご冥福をお祈りします」と悼んだ。