「浪速の視聴率男」やしきたかじんさん死す/復刻

2014年1月8日付日刊スポーツ紙面

<日刊スポーツ:2014年1月8日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月8日付紙面を振り返ります。2014年の東京1面はやしきたかじんさん逝去を伝えたものでした。

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 「やっぱ好きやねん」などのヒット曲や、歯に衣(きぬ)着せぬ語り口で知られるタレントで歌手の、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが3日未明に都内の病院で亡くなっていたことが7日、分かった。64歳だった。2012年4月に食道がんの手術を受け、昨年3月に1度は仕事復帰を果たしたが、体調不良を訴え5月から再び療養していた。親族関係者によると、身内だけで密葬を済ませており、後日、お別れの会を開く予定という。

 甘い歌声と、舌鋒(ぜっぽう)鋭いトーク。歌手として、司会者として、大阪を拠点に絶大な人気を集めた「浪速の視聴率男」が、食道がん公表から1年11カ月で亡くなった。

 たかじんさんと幼少時から親しい親族関係者によると、この日午後5時すぎ、大阪市西成区内に住むたかじんさんの母親のもとに、前々妻との間の娘から知らせがあり、親族に訃報が伝わった。たかじんさんの強い希望で、葬儀は近親者のみの密葬で済ませたという連絡だった。親族関係者は「母親も現実と受け止められないようだ」と話した。

 12年1月31日、初期食道がんの治療専念を理由に、たかじんさんは休養を発表した。同4月に都内の病院で手術を受け、生活拠点のある札幌やハワイで療養を続けた。昨年3月21日には関西テレビ「たかじん胸いっぱい」の収録で1年2カ月ぶりに仕事復帰。その後、レギュラー3番組に順次復帰した。

 ただ、たかじんさんと親しい関係者は、最初の手術の時点で「既に病状は初期ではなかった」と話しており「(たかじんさんは)元気なうちにもう1度テレビに復帰したい」との強い信念から、昨年3月に強行復帰したようだ。12年4月の手術後は友人に「(手術は)のどから下やから、歌は歌えんねん」と話していたというが、完全復活に向け懸命に闘った。しかし無理も長くは続かず、テレビ復帰からわずか1カ月半後の昨年5月2日夜、「-胸いっぱい」の収録後に発熱や猛烈な疲労感などを訴え、再び無期限休養に入った。

 がんの再発や再手術について、親しい関係者らは「聞いていない」と口をそろえるが、たかじんさんは再復帰に向け、都内や大阪府内で治療を続けていた。再休養に入った5月上旬ごろ、都内で目撃した関係者は「わずか数週間であんなにやせるものなのか」と驚くほどの姿だったという。

 それでも闘病生活は豪快だった。12年4月の手術後、医師も驚くほどの回復力で1カ月後に外出。「9月までは無理」と言われていた退院も強引に6月に強行した。再入院を余儀なくされたが、2週間の予定を2日で退院。同11月に別荘のあるハワイでカラオケを楽しみ、ワインを痛飲する生活を送った。復帰するまでの間に大阪・北新地のなじみのスナックに顔を出すなど、たかじんさんらしい病との闘い方だった。

 昨年秋には30代の一般女性と約3年の交際を経て再々婚した。闘病生活を献身的に支えてもらう中で結婚を決意。この女性が最期まで付き添い、密葬には娘ら一部の親族も駆けつけた。

 たかじんさんは、大手事務所のタレントに対しても臆することない物言いで、司会者として絶大な人気を誇った。ヒット曲「やっぱ好きやねん」など持ち歌で女性の繊細な心を描く姿とは別人のように、声を荒らげて政治家や著名人にかみつくことも。人当たりのいい従来の司会者とは対極にあったが、視聴者の怒りや不安を代弁する型破りなスタイルが人気を集めた。

 放言を貫くため、自身は大手事務所には所属せず、事務所の影響力が大きい関東地区でのレギュラーは持たない主義だった。自身の番組も「東京で放送するなら降りる」と公言してきたため、関東地区の視聴者にはなじみが少なかったが、それゆえ、東京への対抗心が強い関西地区の視聴者の心情をつかみ、圧倒的な支持を得ていた。

<アラカルト>

 ◆新聞記者志望 高校時代は新聞部。新聞記者を志していたが、大学進学後に京都・祇園のクラブで弾き語りを始めて歌手の道へ。

 ◆コンサート 演出や構成は一切なく、歌とトークのみのシンプルな構成。MCが長いのが特徴で40分以上トークすることも。実は極度の緊張性で開演前に「極度の重圧を感じる」と話したことも。「客席を見るのが怖いからサングラス、ステージを(端から端へ)ウロウロする(スタイルな)のは落ち着かないから」。99年10月5日の50歳誕生日の大阪公演で「テレビでしゃべってると、のどの使い方が違う。完璧に歌えない」と歌手活動引退を宣言したが、02年8月に復活コンサート。

 ◆歌手たかじん 93年シングル「東京」が自己最高の約60万枚を売り上げた。94年に全日本有線放送大賞で特別賞など受賞。

 ◆タレントたかじん 浪速の元祖毒舌家、上岡龍太郎は「しゃべりは芸人の声、歌は歌手の声」と評し、歌手でありながら93年に上方お笑い大賞の審査員特別賞を受賞。

 ◆東京嫌い 駆け出し時代に東京を拠点にしていたこともあったが、晩年はレギュラー番組を「東京には絶対流すな。放送するならやめる」とスタッフに通達。在京キー局に制約が多く何度かトラブルを起こしていた。

 ◆幅広い人脈 食道がん手術から復帰後、出演番組に安倍晋三首相から激励メッセージが届いた。安倍首相の地元で一緒に温泉に入ったエピソードも明らかになった。橋下徹大阪市長を「茶髪弁護士」として自分の番組で全国区のタレントに育て上げ、政治家転身を後押しした。

 ◆やしきたかじん(本名・家鋪隆仁)1949年(昭24)10月5日、大阪市西成区生まれ。71年に京都レコード(当時)から「娼婦和子」でレコードデビューするが、刺激的な作風から発売禁止に。76年にシングル「ゆめいらんかね」、アルバム「TAKAJIN」で再デビュー。77年に宝塚大劇場で行われた鳳蘭のリサイタルで男性として初めて同劇場の舞台に立った。「あんた」「やっぱ好きやねん」「ICHIZU」「未練~STILL~」「東京」などがヒット。テレビ、ラジオにも出演多数。大阪を盛り上げようと、民間団体「OSAKAあかるクラブ」を立ち上げた。血液型O。

※記録と表記は当時のもの