主役は桜田淳子だったけどマッシー村上にくぎ付け

村上雅則氏

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

 芸能活動を休止していた桜田淳子(58)が、今月7日に東京・銀座博品館劇場で、3年4カ月ぶりとなる一夜限りのステージで復帰した。往年の映画音楽を生演奏と歌で再現する催し「スクリーン・ミュージックの宴」の中でのゲスト出演に、取材のためステージを観劇した。2部制だったステージの1部のトリで出演し、2部のラストにももう1度ファンの前に姿を見せて大歓声を受けるなど、この日の主役は間違いなく桜田だった。

 そんな桜田登場の興奮冷めやらぬ2部の序盤。ステージには、スーツを着た1人の大柄な男性が登場した。その男性は、村上雅則氏(72)。64年の東京オリンピック開幕直前だった同年9月1日に、米・大リーグ、サンフランシスコ・ジャイアンツの一員としてマウンドに上がった、日本人初のメジャーリーガーだ。そんな村上氏が、司会の映画プロデューサー増田久雄氏とステージで交わしたトークにも、くぎ付けになった。

 村上氏は、初めてメジャーのマウンドを踏んだ際の球場の雰囲気や状況、スコアなどを、約50年前の出来事だとは思えないほど鮮明に、しっかりと語った。当時の写真が映し出されると、コーチや選手の名前も全て答えた。記憶に残る大きな大きな挑戦だったことが、それだけで伝わってきた。

 高校野球の名門、法政二のサウスポーとして甲子園夏春連覇も経験し、プロ野球、南海ホークス(現ソフトバンク)へ入団。当時、大学進学を予定していたが、「メジャーに行かせてくれるから」という理由でプロ入りを決断したという。その通りプロ2年目で海を渡り、メジャーでは「マッシー村上」の愛称で親しまれた。日米の野球について「日本の野球も素晴らしいけど、やはり向こうの方が上だと思う。私がそうだったように、行ける人は(メジャーに)行った方がいい。人生1度しかないので、自分の力を試してほしい」と持論も語った。

 紛れもなく、日本人初のメジャー出場という偉業を成し遂げた。しかし、私が学生時代に「日本人初のメジャーリーガー」「メジャー挑戦のパイオニア」として教えられたのは、村上氏の出場から約30年後の95年にロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂英雄氏(48)だった。世間の認識も「日本人初は野茂」となっているのだろうか。

 増田氏が、先月21日(日本時間22日)にドジャースタジアムで行われた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝の日米戦で野茂氏が始球式を務め、「テレビのテロップに『日本初のメジャーリーガー』と出ていた」と水を向けると、村上氏は少し笑みを浮かべながら「見ましたけど、私がそこでいちいち文句は言わないですよ」と答えた。続けて「まあ、そんな昔に(メジャーに)出たということですね」。

 見た目だけじゃない。ステージで頭ひとつ抜けた183センチの大きな体が、さらに大きく感じた。