野村萬斎、主演作ヒット連発映画語る/インタビュー

映画「花戦さ」で池坊専好役を好演した野村萬斎(撮影・酒井清司)

 狂言師野村萬斎(51)の主演映画「花戦さ」(篠原哲雄監督)が来月3日から公開される。日本の伝統芸能を継承する一方、実は主演映画の多くがヒットしてきたマネーメーキングスター。「映画の魅力」や「映画への思い」をあらためて聞いた。

 萬斎のスケジュールは常に先々まで、狂言や演劇の舞台公演で埋まっている。それでも多忙な合間をぬって映画出演を続けてきた。「狂言は家族や一門の数人で簡素な舞台で演じますが、映画はものすごい人数のスタッフがいて、役者もいろいろな方が集まる。いつもと違う球種を投げる人の見たこともない球を、どう打ち返そうかという楽しみがありますから」。

 映画には他にも魅力があるという。「芝居や映画はうそをみんなで楽しむという前提がありますが、特に時代劇の場合、誇張などを含めてうそのつき方がダイナミックにできる。大うそがつける。これは楽しいです。映像として迫力も出せる。例えばカメラがぐっと役者に寄って目の表情だけを見せたりできる。舞台では、そういうことはできません」。

 映画「花戦さ」で演じたのは戦国時代の生け花の名手、池坊専好。花を生けることが至福で、権力者の前に立っても萎縮しない天然キャラ。史実にも残る実在の人物だ。「(脚本では)子供のまま大人になったような人。演じる上で、常に少年でいようと意識しました。少し抜けているけど、ピュアで、うれしい時は無邪気に笑い、悲しい時は落ち込んで泣く。喜怒哀楽がこれほどある人を演じたのは初めてです」。また「撮影現場では常にハイテンションで心を動かしていた。終わってホテルに戻るとコテンと寝ていました。翌朝またテンションを上げて現場に行く繰り返しという意味では、こんなにくたびれた映画はこれまでありませんでした(笑い)」。

 600年以上の歴史を持つ伝統芸能の継承者で、3歳から狂言に励んできた。一方で映画界では話題作やヒット作に関わってきたスターでもある。映画デビューは85年公開の黒沢映画「乱」。ラストシーンにも映る重要な人物を演じた。撮影現場で共演の根津甚八さん(享年69)から教わった「ダメージアップ」という言葉は今も自分の演技に大きな影響を及ぼしている。変な顔や気になるしぐさを見せることで「何だ、こいつ」と観客の興味を一気にひきつけることができるという。「頼りなくて隙がある様子などもひきつけることにつながります」。根津さんには「古典芸能の人は先祖が築いていた何かがあるが、僕らにはない」と言われた。「いかに自分が守られた存在か知りました。外に出ていろいろな人に触れようと思いました」。

 主演映画「陰陽師(おんみょうじ)」は続編が製作されるほど大ヒット。ワイヤアクションにも挑戦した。敵役はアクションを得意にする真田広之(56)だった。「アクションの様式美を持つ真田さんとご一緒できて楽しかった。私も狂言で培ったものをそのまま生かし2人でアクションの醍醐味(だいごみ)を映像に残すことができました」。

 「のぼうの城」では圧倒的不利な状況で大軍に立ち向かう指揮官役。見せ場だった「田楽踊り」の場面では、2万人の大軍の前にたった1人で女装姿で現れ、敵の心をつかむ。「歌詞から振り付け、音楽まで全部自分で考えて作りました」。スタッフと意見をかわして完成させた。「いろいろな道具や場所を与えられ、脚本に書かれた以上のことをやって、どれだけ遊べるかというのが役者の仕事ですよね」。

 興収82億円の大ヒット映画「シン・ゴジラ」では、人の動きをデータ化して取り込む「モーション・キャプチャー」に挑戦。データ化された自分の動きが、フルCGで作成するゴジラの動きとして再現された。「狂言では神様や神の使いなど厳かな異形のものを演じることがあります。今回のゴジラも威厳を持って東京を縦断するという設定でしたから、自分の経験が生かされた。狂言の要素が、ヒットして社会現象にもなった映画にドカンと乗ったという意味では画期的でうれしかったです」。

 「花戦さ」でもこうした「映画体験」が生かされているという。「『花戦さ』は、10年間という設定を通して、泣きも笑いもする、かなり濃密で激動の人生を駆け抜けた感じ。役者冥利(みょうり)に尽きる仕事でしたこれからも50歳のオッサンを起用する奇特な方がいれば今後も映画はやってみたい」。【松田秀彦】

 ◆野村萬斎(のむら・まんさい)本名野村武司。1966年(昭41)4月5日、東京都生まれ。東京芸大卒。94年に萬斎を襲名。同年NHK大河ドラマ「花の乱」に細川勝元役で出演。97年NHK連続テレビ小説「あぐり」に出演。02年に東京・世田谷パブリックシアター芸術監督に就任。172センチ。血液型B。