梨園の妻麻央さん、暴力事件でけがの夫に代わり謝罪

10年12月、市川海老蔵暴行問題で自宅前につめかけた報道陣に謝罪

 乳がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが22日夜、都内の自宅で死去した。34歳だった。

 麻央さんは梨園(りえん)の妻として、母として全力で生き抜いた。10年にキャスターという華やかな世界から、歌舞伎俳優の夫市川海老蔵(39)を支える裏方の立場に転じ、その道半ばで乳がんに侵された。2年8カ月におよぶ闘病生活の中にあって、前向きに生きる姿は多くの人に勇気と感動を与えた。

 麻央さんは上智大在学中に日本テレビ系の恋愛トーク番組「恋のから騒ぎ」に出演、06年からは日本テレビ系のニュース番組「NEWS ZERO」のサブキャスターを務めた。その番組取材で海老蔵と知り合い、10年に結婚。華やかなテレビの世界から、歌舞伎界きっての名門市川団十郎家の嫁として、夫を支える裏方に転じた。

 10年11月、海老蔵が暴行事件に巻き込まれ大けがを負い、謹慎を余儀なくされた時、妻として支え続けた。夫に代わって謝罪するなど、梨園の妻の役割を果たした。

 11年に長女麗禾ちゃん、13年に長男勸玄君が誕生。多忙な日々を送っていた14年2月、人間ドックを受け、8カ月後に乳がんと判明した。がんを極秘にしていたが、16年6月に海老蔵が公表。同年9月に「がんの陰に隠れない」とブログ「KOKORO.」を開設した。日々の闘病生活や心境をつづり、ブログ登録者は250万人を超えた。

 前向きに生きる姿が多くの人に勇気を与え、英BBC放送は「今年の100人の女性」の1人に選んだ。麻央さんはBBCサイトに「死んだら、人はどう思うでしょうか。『34歳の若さで、かわいそうに』でしょうか。そんなふうに思われたくありません。2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生。病気の色だけに支配されることはやめました」と寄稿した。

 入退院を繰り返す中で、子供が通う幼稚園の運動会に参加した。今年1月に放送された海老蔵の特集番組で「市川海老蔵をパートナーとして支えられるチャンスを神様ください、っていつも思うんです。主人と結婚したからこそ、こうして生きられる」と話した。

 あごにも転移し、5月29日から在宅治療で家族との最後の日々を過ごした。「(来年の)娘の卒園式に着物で出たい」とつづり、7月の歌舞伎座で勸玄君が史上最年少の宙乗りに挑むことが発表されると、海老蔵に「見に行くことを1つの目標に」と話した。数年後には海老蔵の13代目市川団十郎襲名、勸玄君が市川新之助として初舞台の予定だった。妻として、母として支えたいという願いはかなわなかった。最後のブログは20日早朝。「皆様にも、今日、笑顔になれることがありますように」。最後まで人を思いやる女性だった。

 ◆小林麻央(こばやし・まお)1982年(昭57)7月21日、新潟県生まれ。上智大在学中、日本テレビ系「恋のから騒ぎ」に姉の麻耶に続いて出演し人気に。03年からフジテレビ系「めざましどようび」お天気キャスター。06年から日本テレビ系「NEWS ZERO」サブキャスターを務めた。10年3月に市川海老蔵と結婚。11年7月に長女麗禾(れいか)ちゃん、13年3月に長男勸玄(かんげん)くん誕生。164センチ。血液型A。