マネジャー「負け認めろ」に泣いた/中山秀征連載2

中山秀征

 タレント中山秀征(50)の連載第2回は、80年代後半、ダウンタウンやウッチャンナンチャンらが台頭した“お笑い第三世代”について。彼らの出現がどうテレビを変え、“テレビタレント中山秀征”を確立していったかについて語ります。そのキーワードは「テレビが大好きで、テレビに出たい」でした。

 僕が、テレビデビューしたのは85年。フジテレビ系「いただきます」という小堺一機さんの番組に、ABブラザーズで出演したんです。そもそも、歌手として芸能界入りしたんです。第2の吉川晃司というオーディションで入るんですけど、歌も芝居もいまいちで、当時のマネジャーに「歌や芝居は、バラエティーで天下をとれたら全部やれる」って言われたんです。わらをもつかむ思いでそこに入っていくんです。

 「いただきます」に出演して一夜にしてスターになったんです。その年はラジオも始まり、ドラマと映画も主演。当時、10代で大阪のことなんて知らなかったんですけど、ダウンタウンがNSC(吉本興業の養成所)に入ったりウッチャンナンチャンが結成したり、新しい時代が始まりつつあったんですね。僕らは、それを知らないまま、お茶の間の人気者になって、それが一生続くと思っていたんです。

 彼らが出てきたころ、僕らの人気に陰りが出てきて。決定的になったのは、勝ち抜き方式のネタ番組でした。俺らは4週目くらいでネタがなくなってしまって。ネタで勝負して来た人にかなうわけがなかったんですよね。彼らが出現したことがテレビの大きなうねりになっていくんです。コンビの両方が売れてテレビを席巻する。「ひょうきん族」はコンビのどちらかが売れていったけど、彼らはコンビで成立させたんです。当時、とんねるずしかそういうコンビはいなくて。すでに大きな存在だったのですが、とんねるずがいっぱい出てきちゃったみたいな。それ以降、コンビで売れる芸人が数えるほどしかいないことを考えても、すごいビッグウエーブだったんですよね。

 その中で、もう1回ネタで勝負しようとした時、当時のマネジャーが「負けを認めろ」と言うわけですよ。泣きましたね。悔しかったです。そこで、僕に何ができるかって考えた時、「芸人ではなく、テレビタレントだ」って、はっきりしたんです。5歳の時、テレビに出たい、中に入りたいと思ったんです。出られるなら何でもいいと。「テレビが大好きで、テレビに出たい」ということだったんですね。

 そこから、地方の番組やドラマの5番手でも何でもやりました。格が合わなくても、とにかく番組に出る。出て一生懸命やれば出演機会が増えると。テレビというのは、実は格ではなくて、出演しているかしていないかだと思うんです。だからこそ、“テレビタレント”でいたいと思うようになったし、いまでもそう思っているんです。

 ◆中山秀征(なかやま・ひでゆき)1967年(昭42)7月31日、群馬県藤岡市生まれ。ABブラザーズを結成し、85年フジテレビ系「いただきます」に出演。テレビ、ラジオのバラエティー番組の司会などで活躍中。現在のレギュラー番組は日本テレビ系「シューイチ」(日曜午前7時30分)、フジテレビ系「ウチくる!?」(日曜正午)など。98年に元宝塚女優の白城あやかと結婚。4人の息子がいる。今年8月にアルバム「50」をリリースし、今月9日にはライブ「中山秀征 50th Anniversary Live」を開催。173センチ。血液型B。