今年大ブレークしたブルゾンちえみ(26)の後方に立つ男2人がwith B。向かって右側のダイキ(30)は、浜松市で生まれ育った。左側のコージ(29)とお笑いコンビ、ブリリアンを組んで活動している。イケメンで俳優も志しているが、ここに至るまでには父親との「闘い」があった。日刊スポーツにその胸の内を語った。
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--ブルゾンちえみwith Bで注目され、ブリリアンとしてのテレビ出演も相次いでいます。ご両親もお喜びでしょう
ダイキ 母は喜んでいますが、父はまだまだです。
--それはなぜ
ダイキ 僕が「役者になる」と言って、大学を3年で中退したからです。それまで、父の期待に応えられなかったこともありますし、もっと頑張らないと。
--期待とは
ダイキ 医者になることです。父は脳外科医で、僕も医者にさせたかったんです。なので、幼稚園の頃から塾通い、習いごともたくさん。友達と遊ぶ時間もなかったですね。
--期待が大きかった
ダイキ 高校は浜松学芸に進みましたが、特進コースに入れなかったことで、父はもっと厳しくなって、1年から月~木曜日の塾通い。午後5時から11時まで缶詰めでした。2年で特進コースに進めましたが、学力不足で医学部には行けず、工学院大工学部に入学しました。
--えっ、ネット情報では「医科大中退」と
ダイキ あれは全くのウソですね(笑い)。
--中退の理由は
ダイキ このまま大学を出て、就職しても父親を超えられないと思ったからです。当時、時代劇のDVDを見て役者に興味を持ち、この道で勝負しようと決意しました。中退後、仕送りはなくなり、1人で生活する大変さを知りました。
--すぐに芸能界に
ダイキ そう思って、小さな事務所のオーディションを受けたら、「合格。18万円のレッスン費を払って」と。周囲に相談したら「それは悪徳」と言われ、契約前に断りました。そこから大手事務所を受け、軒並み落ちました。劇団EXILEさんのはいい線までいったのですが、4年間はフリーターでした。
--実際に芸能活動を始めたのは
ダイキ ダイニングバーで働いていた25歳の時、芸能事務所を立ち上げたお客さんに「役者をやりたい若い人を探している」と誘われ、その事務所に入りました。ブライダルモデル、舞台などを経験し、相方(コージ)とは、舞台共演で出会いました。27歳でした。
--役者の道を進む中、相方とコンビ結成
ダイキ お互いに「そろそろ30歳だし、まずいよ」と言っている中、お笑い好きの相方が、ワタナベコメディスクールを教えてくれ、2人で2015年10月に入学しました。
--入学後は
ダイキ 授業は日曜日だけですが、朝5時までバーでアルバイトをして、寝ないでスクールに行きました。朝9時のネタ見せからでしたが、ネタ作りがギリギリになっていました。そんな生活の中、バーで飲まされた僕が大変な寝坊をして、相方を怒らせて解散危機になりました。
--16年9月に契約
ダイキ スクールを終えて、ネタ見せ会で合格なら契約で、ダメならサヨナラ。ミスをすると相方に迷惑をかける。その責任感が力になりました。ダメなら浜松に戻って、親族が経営している(ホテルチェーンの)呉竹荘にお世話になっていたかもしれません。
--ブルゾンさんとの出会いは
ダイキ 契約してすぐにです。スクールで2期上のブルゾンさんは、既に男2人と一緒のネタをしていましたが、マネジャーさんから「シュとしたコンビが入る」と聞いたようで、僕らが呼ばれました。相方とは同じ182センチ。ブルゾンさんは、会うなり「いいね~。脱いでみて」と。3人での活動が始まりました。
--「35億」のネタは
ダイキ 11月頃に生まれました。最初はシモネタが多くて、テレビのオーディションで不合格ばかり。唯一、日本テレビ系「ぐるナイ!おもしろ荘」だけが残った中、ブルゾンさんのアイデアで生まれました。
--その番組が、今年元日に放送。人生が変わりましたね。ブルゾンさんは、24時間テレビのチャリティーマラソンでも話題に
ダイキ 1年前を考えると、夢のようです。と同時にブルゾンさんのすごさを感じています。自分に厳しく、愛にあふれた人で、僕らのためにズバリとダメ出しもする。24時間テレビの時は、僕らも直前に知らされて、革靴でいたのに「伴走したい」と訴えました。却下されましたが、スタートから1キロを伴走できてうれしかったです。
--芸人としてはこれからが勝負ですね
ダイキ はい。ただ、父には今も怒られています。番組で「医者の息子」と紹介されて、「うち、金持ちなんですよ」と言ったら、長文の重いLINEが届きました。「金持ちになるために医者になったんじゃない」と…。反省です。
--今後の目標は
ダイキ マルチに活動して将来、役者をできたらと。1つの目標は、NHK大河ドラマに出ること。父に認めてもらうためにも。
--今の「おんな城主 直虎」は浜松がゆかりです
ダイキ う~ん、出たい。でも、さすがに今からでは無理ですよね。
--もし、浜松市から「大使」の依頼があったら
ダイキ やりたいです!! 有名な方がたくさん出ていて激戦区ですが、それぐらいの存在なりたいです。高校まで勉強漬けでしたが、浜松まつりは楽しい思い出です。早く地元に恩返しがしたいです。【取材・構成=柳田通斉、上岡豊】
◆ダイキ 本名・杉浦大毅(すぎうら・だいき)。1987年(昭62)6月19日、浜松市生まれ。広沢小、蜆塚中、浜松学芸高を経て工学院大工学部電気システム工学科に進むも中退。趣味は美容、ファッション。血液型A。ネタ作り担当の相方コージ(徳田浩至)は、法大でアメリカンフットボール部主将だった。