動物写真家の小原玲氏「人間を撮るのに疲れた」

雪の中、シマエナガを待つ小原玲氏

 動物写真家の小原玲氏(56)が、写真集「もっとシマエナガちゃん」(講談社)を出版した。昨年出版した「シマエナガちゃん」に次ぐ第2弾。北海道に生息する、日本で一番小さい鳥、シマエナガの愛らしい姿に迫っている。小原氏は元報道カメラマン。写真誌「FRIDAY」の創刊期にはエースカメラマンとして活躍した。高校時代に写真コンテストに応募してグランプリを取ったことから、プロカメラマンの道を志した。

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 前橋高時代の小原氏は、高校生の写真コンテストでグランプリを獲得。エロを広げた友人を撮った斬新な写真が認められた。3年の時、野球部が春の選抜甲子園出場。エース松本稔を擁した前橋高校野球部は、1回戦で比叡山高(滋賀)を相手に甲子園史上初の完全試合を達成した。

 「僕も写真でグランプリをもらっていたので、卒業式では松本と一緒に表彰されました(笑い)」

 国立茨城大に進学して、写真部に所属。卒業後、半年ほど広告アシスタントをしてから、報道写真のプロダクションに入った。

 「そこからFRIDAYに派遣されました。社長もカメラマンで、そのサブとして一番いいところは行けました。田中角栄入院、日航機墜落、三浦和義氏逮捕…なんか、先輩を差し置いて、自分ばっかりいいところを撮れちゃった。それで、FRIDAYの直の契約カメラマンにしてもらいました。あの頃のカメラマンは、パトカーのボンネットに飛び乗って撮ることが多かったですね。三浦氏もそうですし、投資ジャーナル事件の中江茂樹氏も。でも、護送される容疑者は、ボンネットの上に乗ったら撮れないんですよね(笑い)」

 御巣鷹山の日航機墜落事故では、遺体が運び込まれた酷暑の体育館の遺体安置所で、扇子でパタパタとあおぐ日航の副社長の姿をフィルムに収めた。

 「御巣鷹の時は、朝一番で現場に向かいました。現場に到着したのは10人目くらいでした。生存者発見の瞬間に居合わせて、4人の生存者の救出現場を撮ることができました。自衛隊の群馬側から入って、自衛隊のレンジャー部隊や消防団に付いていきました。険しい、道なき道を登りながら、道にいろいろな破片があるの気付きました。前を進む人間が目印に置いていったのかと思いましたが、だんだんとそれが肉片とか衣服の切れ端になって…」

 三浦和義氏逮捕の時は、1カ月間くらい、三浦氏を密着マークした。

 「私は車の運転がヘタで、他社の車とぶつかったりしていたんです。三浦氏は『また、君か。FRIDAYの突貫坊や』て言って、あきれてました(笑い)。逮捕の瞬間は、全マスコミが車の前に集結したんですが、私だけは(逮捕した三浦氏を)車の後ろに連れてくると判断しました。それで、三浦氏の顔を撮ることができました。目と目が合ったとき『FRIDAYの突貫坊やか』と言うような表情をしていました」

 86年12月、ビートたけしと、その軍団がFRIDAY編集部を襲撃した。写真雑誌の激しすぎる取材法に批判も集まっていた。だが、その時、すでに小原氏はFRIDAYを辞めて、アメリカの通信社のカメラマンとなっていた。

 「89年6月には天安門事件の写真も撮りました。(写真雑誌の)フォーカスの依頼で、個人で取材に入っていたんですが、フォーカスが使わなかった写真が米国のライフの表紙を飾りました。ソマリアの内戦も撮りましたが、人間を撮るのに疲れて、90年からアザラシを撮るようになりました」

 アザラシを撮り続けることで、地球の環境の変化の最前線の様子を知ることになった。

 「流氷の変化で地球温暖化などの問題もダイレクトに感じます。子どもたちに対しては、地球温暖化の問題を話して聞かせるよりも、生き物を好きになってもらうのが一番いい。『地球が大切』と言い聞かせても、そんなのでは駄目。感情を動かすには、かわいい動物の姿を見せるのが一番。シマエナガが、子供たちが自然への関心を持つ導入口になればと思っています」

 プロのカメラマンになって30年以上がたった。

 「今、FRIDAYのカメラマンをやってくれと言われても絶対に無理。でも、時代、時代に、自分の好奇心が向いた、取りたい物を撮らせてもらってきた。FRIDAYは、日本の社会がワサワサした時代。そして世界の激動の最前線も取れた」

 今も、小原さんは自分の最も興味あるものにレンズを向け、シャッターを切り続けている。

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 ◆小原玲(おはら・れい) 1961年(昭36)2月2日、東京生まれ。群馬・前橋高から茨城大人文学部を卒業して、FRIDAY専属カメラマンに。その後、米国写真通信社のカメラマンとして、天安門事件、湾岸戦争、ソマリア内戦などを取材。アザラシの赤ちゃんとの出会いをきっかけに動物写真家に転身。アザラシ、シロクマ、マナティ、ホタルなどを撮影。