はしだのりひこさん死去、今年4月に最後のステージ

ザ・フォーク・クルセダーズの左からきたやまおさむ、はしだのりひこさん、加藤和彦さん

 「悲しくてやりきれない」「帰って来たヨッパライ」などのヒット曲で知られるフォークグループ、ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった歌手はしだのりひこ(本名・端田宣彦)さんが2日午前1時16分、パーキンソン病で、京都市内の病院で亡くなった。72歳。京都市出身。10代から音楽に親しみ、闘病中も体調の良いときには歌を口ずさむなど音楽とともに歩んだ人生だった。

 親族によると、はしださんは約10年前からパーキンソン病を患っていたという。車いすでの療養生活を送り、今春には急性骨髄性白血病と診断され、闘病生活に入っていた。2日午前1時16分、京都市内の病院で家族や音楽仲間にみとられながら旅立った。長女は「闘病中も、体調の良いときには好きな歌を口ずさんでいた。本当に歌が大好きな父でした」としのんだ。

 最後のステージは今年4月。表舞台からは約10年離れていたが、きたやまおさむ(71)に誘われ、「京都フォーク・デイズ ライブ」にサプライズゲストとして出演した。車いすにサングラス姿で、はしだのりひことシューベルツの代表曲「風」や「あの素晴しい愛をもう一度」を歌唱。きたやまとは45年ぶりの共演で「今日が最後の歌唱です」などと客席に語りかけていた。

 はしださんは、同志社高在学中から音楽活動で注目を集め、同志社大在学中にきたやまや、加藤和彦さん(09年に死去)らが結成したクルセダーズに67年から参加。「帰って来たヨッパライ」が大ヒットした。68年には自らのグループ、はしだのりひことシューベルツを結成。作曲を手がけた「風」が大ヒットした。同グループ解散後は、はしだのりひことクライマックスで、71年に「花嫁」のヒットでNHK紅白歌合戦に初出場。曲のモデルは高校の後輩で、9年前に死去した妻和子さん。和子さんは生前、日刊スポーツの取材に「真剣な恋をした人と、出会ってからずっと一緒にいられる」と幸せな夫婦生活について語っていた。生前の和子さんが大病を患ったことを機に、数年間の“主夫”業に専念。その体験から家事や育児をテーマにした講演活動も行っていた。

 60~70年代のフォーク世代を代表する1人として、特に、はしださんが参加したフォークルは関西フォークブームの先駆けとなった。岡林信康(71)杉田二郎(71)らとともに活躍し、一世を風靡(ふうび)。俳優としても「必殺シリーズ」などに出演するなど、多才ぶりを発揮したエンターテイナーだった。

 ◆ザ・フォーク・クルセダーズ 1965年(昭40)8月、加藤和彦さん、きたやまおさむ、平沼義男、芦田雅喜、井村幹生らで結成。67年12月に加藤さん、きたやま、はしださんの3人で、デビュー曲「帰って来たヨッパライ」を発売。南北分断の悲しみを歌った北朝鮮の歌をアレンジし、松山猛氏が訳詞した「イムジン河」は政治的配慮から発売中止になった。68年10月に解散。ヒット曲に「青年は荒野をめざす」「悲しくてやりきれない」など。

 ◆はしだのりひこ 本名・端田宣彦(はしだ・のりひこ)。1945年(昭20)1月7日、京都市生まれ。67年にフォークグループ、ザ・フォーク・クルセダーズに参加。「帰って来たヨッパライ」が大ヒット。翌年にはしだのりひことシューベルツを結成し、作曲した「風」(作詞は北山修)もヒット。同グループ解散後、はしだのりひことクライマックスを設立し、71年に「花嫁」でNHK紅白歌合戦に初出場。和子夫人との間に1男1女。