19歳安室が明かした本当に憧れたファッションとは

96年5月12日付 日刊スポーツ芸能面

安室奈美恵(40)が今日16日をもって、芸能界を引退する。

96年の春、アムラーブームの主役の顔に、物差しを当てた。紙面に同サイズの写真を掲載する企画のための測定だった。額の生え際からあごの先まで、その長さは…えっ!! 数値は生々しいので掲載しないと約束したが、10頭身に迫るスタイルだった。

その日、安室は大阪市内のホテルにいた。人気絶頂で、単独取材の時間をもらうには、東京を離れたタイミングしかなかった。週末の混雑で、インタビュー用に借りられる部屋は7万8000円の応接室のみ。日刊スポーツとしては、破格の取材対応だったが、貴重な1時間になった。

原点となった沖縄アクターズスクール時代、おニャン子クラブやWink(ウィンク)に憧れ、歌とダンスを学んだ。養成所に通いながら、デビューしたい、テレビで歌いたいと、高校に進学しないことを決めた。

スーパーモンキーズでデビューしてから3年間は売れなかった。デパートの屋上やスーパーの広場で歌って踊っても、誰も足を止めない。サイン色紙はチューインガムのおまけとして配られた。売れてからもいつも不安なのは、悔しい経験があったからだという。一方で反骨心も芽生えた。「絶対にビッグになってやるって思ってました」。

「TRY ME」が大ヒットしても、有頂天になれず、時々満員電車に乗り、原宿や渋谷に出掛けた。目の前に「アムラー」と化した同年代が次々、通り過ぎる。本家のはずなのに「私より派手な人が多い」と気後れしていた。

安室に憧れる「アムラー・ファッション」の基本はハイヒールとミニスカートだが、その動機は身長158センチの安室自身のコンプレックスにあった。「ヒールは高くないと履かないんです。身長が高く見えるし、足も長く見える。ミニもそうなんです。沖縄って全国でも足が短いところだって知ってました?」。そんなデータは初耳だったし、スラッと伸びた足は短くない。それでも、本当にはきたかったのは「スニーカーにパンツルック」だと教えてくれた。

取材後も快進撃が続いた。CD売り上げやドーム公演、日本レコード大賞受賞など次々、最年少記録を塗り替えた。しかし、本人はいつか破られるだろう最年少記録が騒がれることに、不安を持っていた。

小さな体に抱いた不安やコンプレックスが、安室スタイルを作った。20代で結婚、出産、離婚を経験し、単身子育てしながら充実の30代を駆け抜けた。テレビ出演は極力控えた。3時間に及ぶステージでも、あいさつ以外一切しゃべらないのは、話すことが苦手だからだと、先日のNHKのインタビューで答えていた。最後のツアーのアンコールは、別れのあいさつで締めた。各地で内容を少しずつ変えながら「口べた」じゃないことを証明したのだが…。

なぜ引退するのか。長く担当したスタッフは「一番いいコンディションの時に幕を引きたかったのだと思う」と語る。ダンスのキレに衰えはない。歌声にはまろやかさが増し、余裕すら感じた。いつかのどがつぶれるのではと、心配するほどハスキーに張り上げていたのが懐かしくなる。気になるとすればそれぐらいで、ステージは充実していた。

でも40歳。本人には不安が忍び寄っていたのだろう。安室にしか測れない物差しが、25年の決意へと導いた。ビッグになって、ビッグなまま姿を消した。【文化社会部長・久我悟】