赤木春恵さん230本以上出演 日本のお母さん逝く

11年6月、本紙「日曜日のヒロイン」のインタビューで笑顔を見せる赤木春恵さん

「渡る世間は鬼ばかり」「3年B組金八先生」などで活躍した女優赤木春恵(あかぎ・はるえ)さん(本名・小田章子=おだ・あやこ)が29日午前5時7分、心不全のため東京・府中市の病院で亡くなった。94歳。78年の女優人生で出演作は230本を超え「88歳175日」のとき映画初主演した「ペコロスの母に会いに行く」で世界最高齢の映画初主演女優としてギネス世界記録に認定された。俳優仲間から「ママ」「お母さん」と慕われた。

長女で所属事務所「オフィスのいり」の野杁(のいり)泉さん(61)が東京・府中市の自宅前で取材に応じた。赤木さんは15年に左足大腿(だいたい)骨を骨折し車いす生活となった。パーキンソン病も患い、ほぼ入院生活だったが「あまり悪化せず、認知症の症状も進行しなかった」。ここ1カ月は「階段を下りるように」体調が悪化。この日未明に病院から連絡があり、駆けつけた家族にみとられ静かに息を引き取った。

3年も表舞台から遠ざかり、赤木さんは「こんなに長く行方不明になったら、私が死んでも誰も来ないわ」と冗談ぽく話したという。やせた自分の姿に「お葬式、みんな顔を見るでしょ。嫌だわ」と言うこともあったが、自宅に帰った赤木さんはお気に入りの白いニットを着て、長年のヘアメーク担当が化粧を施し、親交のあった人たちと対面した。野杁さんは「今はすごくきれいです」。

1週間ほど前に大好きな大相撲を見ていた時、ひいきの力士を聞くと、「遠藤、貴源治」と答え、看護師と「面食いなのね」と笑ったという。10月末、赤木さんは「みっちゃん(森光子さん)が『あやちゃん(赤木さんの本名)』って来たの」と話し、「潮を吹く魚の話をした」と言ったという。野杁さんは「母が森さんとハワイで鯨を見たっていう話を聞いたことがある。きっとその話をしたんですね。今ごろ、楽しく話していると思います」。

1940年に松竹から女優デビュー。50年代に故森繁久弥さん主宰「森繁劇団」に参加。79年に始まった武田鉄矢主演のTBS系ドラマ「3年B組金八先生」では校長役を演じ存在感を示した。80年代以降は橋田寿賀子氏の作品に数多く出演。NHK朝ドラ「おしん」ではおしんを見守る心優しい女性を演じ、大河「おんな太閤記」で秀吉の母、TBS系「渡る世間は鬼ばかり」で泉ピン子演じる五月をいびるしゅうとめキミ役を好演した。映画、ドラマ、舞台の出演作は230本以上でホームドラマには欠かせない女優だった。

07年に乳がんで左乳房を摘出。11年に舞台出演を卒業したが、13年には息子と認知症の母の日常を描いた映画「ペコロスの母に会いに行く」で映画初主演しギネス世界記録に認定された。私生活では1947年に東映プロデューサーと結婚。夫は91年、肺がんで死去している。1人娘は所属事務所で赤木さんを長くサポートし、孫に俳優野杁俊希がいる。15年12月に森さんの追悼番組のため病院から自宅に戻って出演したのが最後の公の場だった。おおらかな性格で、俳優仲間から長く慕われていた。

◆赤木春恵(あかぎ・はるえ)1924年(大13)3月14日、満州(現中国・長春市)生まれ。40年に松竹に入社し、女優デビュー。59年に森繁久弥劇団に参加。72年にNHK連続テレビ小説「藍より青く」で注目され、TBS系「3年B組金八先生」「渡る世間は鬼ばかり」、NHK「おんな太閤記」「おしん」などに出演。著書「おばあちゃんの家事秘伝」はベストセラーに。87年度菊田一夫演劇賞、93年紫綬褒章。