大竹まこと 青春の傷明かす、ラジオと私の12年

3000回の放送を行ったスタジオから見える風景を背にする大竹まこと(撮影・中島郁夫)

インタビュー 文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」3000回の金字塔でも戦いは続く

■ラジオの役目は「小さな声」伝えていくこと

怖そうに見えて温かい。気難しそうだけど情け深い。タレント大竹まこと(69)がパーソナリティーを務める文化放送「ゴールデンラジオ!」(毎週月~金曜午後1時)が、17日で放送3000回を突破した。時代の空気を深く吸い込み、本気の発言で世の理不尽に風穴をあけてきた12年。夢だったラジオの仕事と向き合う大竹に迫った。

年の瀬。東京・浜松町の文化放送9階にある第1スタジオ。読み上げられるはがきには、生きることの苦しみ、孤独な時間を過ごす寂しさ、市井の心の叫びがつづられていた。円卓の中心に座る大竹からため息が漏れる。マイクから鼻水をすする音が伝わってくる。

介護施設の経営者が離職者の続出を嘆く。73歳の女性は食べていくために清掃業務の職場を1つ増やした。本当に日本は豊かなのか-。

最近の大竹は涙もろい。「もっと介護職の給料上げろよ」「お母さん働き過ぎだよ」。リスナーへ呼びかける1つ1つの言葉にぬくもりが込められる。

「感情の起伏が心の中で激しいからド~ンと寄り添うこともある。時には傷が深くなるときもあって。でも本当に寄り添わなきゃいけない時は寄り添わないと。難しいな」

大竹が切り込む話題は幅広い。格差社会、性的少数者(LGBT)、変えることのできない属性への差別、国民の声を聴かない政権への批判…。少数の意見をくみ取らない排他的な社会の空気、権力者の横暴な手法には牙をむく。

「そんなに高みに立てるほどの知識もないけれど、ラジオの役目として、小さな声を少しでも伝えていきたい。大きな声はまとまった意見で、小さな声は分断された声。日本中のあちこちで、貧しい人同士が分断の先っぽにいる」

年末、米軍基地の移設に揺れる沖縄・辺野古で土砂投入が始まった。タレントのローラ(28)がSNSで停止を求める署名を呼びかけたところ、一部ネット上で批判を浴びたことに違和感を覚えた。

「マイノリティーの声をどこまで政治に反映させるか。マイノリティーを救えないような政治はだめだよ。ローラが意見を言って何が悪い!?」

タレントが政治的な発言をすると世はざわめく。そんな窮屈にまとまる日本社会の空気を打ち破るように、ためらうことなくモノを言う。

「結構、俺もやけどもするんだけど、それでもいいかなと。それで炎上して、消えてもいいんじゃないの。年も年だし。小さい声を伝えていくことは、立ちはだかる巨大な壁に向かってゴムまりでも投げている感じかね」

■青春の傷、苦労の連続だったアングラ役者時代

2007年(平19)5月7日、産声を上げた番組はわずか7カ月で同時間帯の聴取率首位に躍り出た。その後もライバル局の人気番組と長く首位争いを展開。3000回の節目を迎えた今も、大竹の番組は60代以上の聴取率で頭1つ抜けている。

「聴取率には波があって、1位になったり、2位になったり。どこまで続くか分からないけど、始めた頃は2~3年で終わるかなと考えていた。7、8年たって、ここは俺の場所か? 居場所というのはこういうことなのかなと思うようになった。タイトなテレビで、ちょっと先鋭的にキャラクターを作らなければやっていけないのとは違って、ゆっくり息継ぎしながら、全部アドリブでしゃべられる場所だから。ラジオは」

自分の「居場所」。今、そう思えるようになったのは、青春の傷を残したバックグラウンドと無関係ではない。

ラジオとの出会いは高校時代。受験勉強中にTBSラジオの深夜番組「パックインミュージック」(67年)の司会だった故野沢那智さんと白石冬美(77)に憧れた。

「ろくに勉強をしないで『なっちゃんちゃこちゃん』だけ聞いていた。17歳のときかな。もしタイムカプセルに何かを書いて土に埋めたとしたら『将来はラジオのディスクジョッキーになっている大竹』と書いたと思う」

30歳のとき、きたろう(70)斉木しげる(69)と3人で「シティボーイズ」を結成するが、高校卒業後はアルバイトで生計を立てる時期が続いた。地方のキャバレーでコントをしたり、仮面ライダーの着ぐるみで悪役を演じた。

「若い頃は本当にバカでね、社会をナメていた。女にもモテたしなぁ。就職もしない、大学も行かない。フラフラと生きて、26、27歳で役者のアンダーグラウンドにいたけど、つぶしが利かず居場所がなくなるんだよね。そのうち(劇団仲間の)風間杜夫が食えるようになって。俺はと言うと、きたろうと斉木と新宿のデパートの屋上でコントやって。その足で風間の『蒲田行進曲』を見て、黙って帰った記憶がある。どんどん置いていかれて。ダメだなあと。1度仕事を受けたら続くものだけど本当に続かなかった」

転機が訪れたのは85年。「おニャン子クラブ」を生み出したフジテレビ「夕焼けニャンニャン」に、イッセー尾形(66)の後釜としてレギュラー出演することになった。

「テレビに出るとか、レギュラーとか思ってもいなかった。イッセー尾形を本当に尊敬していて、アイツが通用しないなら俺だって通用するわけがない。でも仕事が来て、俺には暴れるしか手は残っていない。それで勝手に壊す方にいっちゃったんじゃないかな」

生放送で暴れまくる行動が問題化し、テレビ局には抗議の投書が殺到した。だが、“悪役”を真剣に演じる大竹の姿はスタジオに緊張感を与えた。「本気」の振る舞いは強烈なインパクトを視聴者に解き放った。

■ラジオと震災報道、福島からの現地中継が教えてくれたこと

自分の色を出すためには何が必要か。若い頃からもがいてきた。テレビ朝日系「TVタックル」でビートたけしとの喫煙コーナーのやりとりも自己啓発の場となった。

「こっちにしたら、天下のたけしさんと普通にしゃべるなんて尋常じゃない。何の打ち合わせもなく、たばこ吸っているだけだけど、それなりの発言をしないと。番組が政治っぽくなって、好きなことを言えるようになった時代。でも好きなことを言うには勉強しないと降ろされちゃう」

2011年(平23)3月11日。東日本大震災が生放送中に起こり、ラジオは災害とどう向き合っていくべきか、リスナーの命綱であり、人々が明るく生きていくために何をすべきか、強く意識するようになった。

「午後2時46分、ちょうど、イッセー尾形がゲストで来ていて。その瞬間、スタジオの窓から見える、ゆりかもめが傾いて止まっていた。お台場のフジテレビの奥が燃えていた。(金曜パートナーの)室井(佑月)がいくら呼びかけても原稿を読むのをやめない。アイツ怖くてずっと原稿を読んでいた。あの頃から、何度も福島へラジオの仕事で行くようになって、余計、街の人々がラジオを聞いてくれていたことが分かった。手紙、はがきから、懸命に暮らしている様子が伝わってくるんですよ」

■業界で「終わり」覚悟した長期入院を乗り越えて

昨年7月、深刻な腰痛が大竹を襲った。当初は気力で出演を続けた。スタジオの床に布団が敷かれ、横になってマイクに向かう日々が1週間続いたが、ついに体が動かなくなった。手術を受けて約1カ月入院した。芸能生活でも経験のない長期休養は、自分自身と向き合う時間になった。

「今までにもいろんなことがあって、何回か業界で俺は終わりだなと思うことがあった。やってきたことと、世間にさらされている立場だから、いつ終わってもしょうがないとは思っています。今回も、腰痛で終わるのかなと」

この12年を二人三脚で歩んできた番組プロデューサーの柿沢真理子氏が、17年度の放送ウーマン賞に輝いた。柿沢氏は授賞式で「最後の最後まで、ラジオは自由に発言できるメディアでありたい」と力を込めた。質の高い番組制作を評価されての受賞。大竹は放送中に何度もこの快挙を自慢した。

「ずっと一緒にいる柿沢が俺を守ってくれたから、こっちは好きなことを言っていられる。小さな声を伝えることが俺の役目。歯が立たないのは分かっているけど。番組が続く続かないはタレントの決めることじゃない。やりたくても『お前はダメだ』と言われたらおしまい。背中を押されて『たまには大竹の声が聞きたい』と言われたら、もう少しやってもいいかなと」

閉塞(へいそく)感の漂う世の中で、自由に語ることの大切さを問いかけ続ける。

「ラジオもこれから隆盛を極めるメディアではないけれど、なくなることはない。新聞も、しっかりチェック機能を果たしてください。森友・加計問題、辺野古のこと、『#me too』のレイプ事件も、新聞はしっかり伝えていますか。真実は活字でちゃんと残していかないと。日刊スポーツの政界地獄耳は番組でも引用していますからね」

悪役を演じていた若き日も、市井の暮らしに寄り添う今も、目の前にある使命に「本気」で向き合う姿が真骨頂。「面白く真剣に」「くだらないけど正直に」。番組のコンセプト通り、平成のその先へ、軽快に突き抜ける。【取材・構成=山内崇章】

◆大竹(おおたけ)まこと 1949年(昭24)5月22日、東京都生まれ。東京大学教育学部付属高校卒。舞台俳優として活躍しながら79年に、きたろう、斉木しげるの3人でシティボーイズ結成。単独でバラエティーやドラマなどに出演。最近の主な出演はテレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」、NHK「チコちゃんに叱られる!」など。所属事務所ASH&Dコーポレーションには阿佐ケ谷姉妹、ムロツヨシも所属。

◆大竹まことゴールデンラジオ!◆07年5月7日放送開始。月~金曜午後1時から2時間半の番組。パートナーは月=倉田真由美、火=はるな愛、水=壇蜜、木=光浦靖子、金=室井佑月。迎えたゲスト5000人超。朗読コーナー「大竹発見伝~ザ・ゴールデンヒストリー」、識者と対談する「紳士交友録」が人気。

■女性パートナーで「奪い合い」、光浦靖子(47)が語る大竹の人気の理由

07年の放送開始からずっと一緒に関わらせていただいて、大竹さんの印象は「気が合う人」。(実の)お父さんよりお父さんのように思える方です。異性でこんなにおしゃべりする人はいません。人を見る能力がすごいんです。相手の精神的な弱さを見抜いて、踏み込まれたくないところには絶対に踏み込まない、やさしい人。

各曜日のパートナーになった人は、忘年会や打ち上げで、大竹さんを取り合う空気になる(笑い)。大竹さんの一番のお気に入りは自分、一番話しやすいのは自分だと。番組は1つ大きな山を超えて確固たる形ができました。ここまできたら、もう大竹さんのトーンに付いていくだけです。このまま体が持つ限り続けていただきたいです。