森昌子が父命日に引退会見、淳子から連絡 一問一答

森昌子引退会見で、母、亡き父の話では大粒の涙が止まらなかった(撮影・酒井清司)

年内いっぱいでの引退を発表した歌手森昌子(60)が28日、都内で引退会見を行った。

おもな一問一答は次の通り

皆さま本日はご多忙の中、ありがとうございます。私事で恐縮ですが、年内を持ちまして引退させていただくことになりました。2度目の引退で、本来このような会見は非常に恥ずかしいのですが、3度目はございませんので、どうぞよろしくお願いします。

-引退理由について

「昨年10月に還暦を迎えて、私も60歳になるんだって、これからの残された人生がどれくらいあるのかと、真剣に考えるようになってしまったんです。幼少期から今まで、自分の時間を使った時が少なくて、悲しいことに思い出もそんなに多くありません。芸能活動以外に時間をかけて、これからの自分の人生を大いに楽しんでいけるよう、大変勝手でわがままだとは分かっているのですが、決断いたしました」

-このタイミングで発表した理由

「本来は半年前の6月頃に発表しようと考えていたのですが、日々取材で『これからの目標は?』とか『50周年は?』と尋ねられるたびに口ごもってしまい、なかなか本当のことが言い出せなかった。その苦しさもあり、このままでは無理だと自分で判断しまして発表しました」

-休むという選択肢もあったのでは?

「スタッフからも、あまりに忙しいのでそういう思いになっているのではないか? ちょっとお休みをして、またファンの皆さんの前で歌ってみて? と言われましたが、これはどうしても性格なんでしょうね。どうしても1つのことを終えてからでないとできないので」

-家族に報告

「母は3月13日に87歳の誕生日を迎えて、久しぶりに2人で食事をしました。その時に母に『お母さん、私ね、今年で歌手辞めるから』と報告しました。母は何でもお見通しなので『昌子、よく14年間頑張ってくれたね。ありがとね』と。子どもたちもお互い忙しいので、1年に会えるか会えないのかという状況の中で、メールで。『お母さんお疲れさまでした』という返信がありました」

-中3トリオに報告は

「特別には報告しておりませんが、淳子ちゃんからは昨日、『これからいっぱい時間出来るから、いろいろなところに遊びましょう』とメールをいただいたので、誘ってねと返しました」

-歌手人生を振り返って

「時代にも、ファンの皆さま、関係者の皆さまにも恵まれた歌手人生だった。残念ながら私の力不足で、いい楽曲がたくさんあるんですけど、それをなかなか皆さまにお伝えすることができないことがある。歌をこれから歌い継いでくれる人がいたらうれしいという気持ちはあります」

-去年、還暦を迎えた頃から、決断に悩みは?

「なかったですね。本当はもっと早く60歳になりたかったんです。60歳になったら何か違うことが、新しいことがあるんじゃないかという期待があって。このままでいいのか? と思ってしまいました」

-芸能活動への不満は?

「何もありません! いろいろな番組にも出させていただいたり、コンサートにもたくさんの人に来ていただいて。楽しかった、おもしろかったと言っていただけるので、全く仕事での不満はないです」

-その中で引退。ファンへの心苦しさは?

「昨日もファンの方から色紙に『辞めないで』とあって、ごめんなさい、私のわがままで申し訳ないです。でも何か、自分でやりきった感というか、歌い手として本当に自分がやりたいことをやれてこれたことには感謝しています」

-引退後は。以前は趣味がないと言っていた

「正直今は何も考えられなくて、残された日々を充実させるように、ファンの皆さんに届けられるようにとしか考えられないです。映画とか美術鑑賞もそうですけど、料理にも興味があるので、もう少し作れるようになったらいいなと。(どんな料理?)分かりません!」

-息子たち活躍。海外公演に行ったりは?

「どうでしょか、ないと思います! どうして? おかげさまで子どもたちも皆さまのお力で好きなことをやらせていただいていますので、私も2度ほど見ていますが、子どもたちが自信をもってやってくれていますので。遠いし(笑い)」

-芸能活動で大切にしてきたこと

「1度辞めて、20年間という時間をへて戻ってきたのにもかかわらず、温かく笑顔で迎えてくださった皆さんには本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです」

-周りを説得するのは大変だったのでは?

「これは時間がかかりましたねえ。社長をはじめ、辞めなくてもいいんじゃないかと言われておりまして、でも私もちょっと頑固なところがありまして。1度自分が決めたことは、そこに来るまでのプロセスもあって、急に昨日今日で決めたことではなかったので、1つ区切りを付けたかったんです」

-10月より前から考えていた?

「夏ですね。夏になった時に、もうすぐ秋がくる、そうすると還暦になるんだと。60歳という区切りももちろんありますけど、実は昨年の夏にデビュー当時からお世話になっていた方がお亡くなりになって、娘のようにかわいがってくれた方だったんです。私が休んでいた時も、長男、次男、三男が生まれた時もお祝いに来てくださったり、常に私を支えてくださった方だったんです。その方の死は、しばらく受け止めることができませんでした」

-“おいしい”交渉はなかったか?

「言われましたよ(笑い)。もうちょっと仕事を少なくするとか、自分の好きな時間をつくるようにしますからと何回も言われましたけど…無理です! でもスタッフの愛情を感じましたし、自分勝手でわがままと思うのですが、私にとっては、人生は1度だけですから。決意は固まっていました」

-歌手は辞めても「まーちゃん」だけとか、バラエティーだけとか

「今日も一緒に連れてこようと思ったんですけど、彼女は忙しくて春休みに入ってまして、進級も厳しいだろうと、宿題をやっております。たぶん私にくっついて消滅してしまうと思います」

-1度目は結婚?今回も結婚?

「それもね、実はね…ないです(笑い)。おかげさまでこれだけ毎日あちこちコンサートにも行っていて、考える暇がないです。今自分がどこにいるのか分からなくなるくらいなので」

-引退してから恋をしてみたい

「勝手な思いはあります。例えば10年、15年後にひょっとしたらすてきな人があらわれて、お茶でも? と誘われたらあるかも」

-ファンには年末にNHK紅白歌合戦にとの声もある

「いやいやいや。それは全くないです。テレビをゆっくりと拝見したいと思います。(オファーがあったら?)ないと思います」

-数ある名曲の中で1番好きな曲は?

「私にとって、歌は子どもと同様愛おしいものであり、1つ1つ心をこめて歌っていたので、どれが1曲というのは難しいんですけど、森昌子という歌手をつくってくれたのはデビュー曲の『せんせい』。ちょっと歌に悩んでいた時に、方向性に迷っていた時に歌ったのは『哀しみ本線日本海』(81年)で、ちょっと自分も大人の歌が歌えるようになったかなと」

-「越冬つばめ」作曲者の円広志との思い出

「引退の話はしていませんが、細やかなことで気を使ってくださる方なんです、そう見えないですけど(笑い)。いつも会うと必ず声をかけてくださる。心優しいお兄ちゃんという感じです」

-これからの老後のイメージは

「老後ですね、もう近いですよね。あの人、楽しそうな明るいおばあちゃんだねと言われるようにしていきたいです。こういう性格ですので、そんなにひどいことはしませんし」

-ずっと1人とか施設に入ったり具体的なイメージは。楽しみにしていることは?

「最近施設の方でカップルになる方もいらっしゃるみたいなので、そうしたチャンスは残っているわけですね(笑い)。施設に入るというところまではまだ考えていないです。今年の母へのメッセージに、温泉に行こうねとは書きました。『本当に連れていってくれるのかねえ』なんて言ってましたけど」

-母への思い

「母がいなければ、子どもも育てることはできませんでした。母がいてくれて、一生懸命教えてくださった…」

-花の中3トリオ再結成などは?引退後は?

「具体的には無理かもしれませんけど、夢みたいなものはありますね。もうちょっと年がいってからおばあちゃんトリオとか、そんな感じで3人そろって、ああだったね、こうだったねと。同じ時代を駆け抜けてきた戦友ですから、たとえ何年会わなくても、当時過ごした時間には勝てないんですね。その意味でも、今でも2人がそばにいてくれるような気がします」

-引退した後も歌いたい

「歌は好きですし、しょっちゅう家でも口ずさんでいますので、好きなんだなと思います」

-13歳の時の自分に声をかけるとしたら

「今日までよく頑張ったねということですかね」

-年内最後はいつ?

「12月中旬と聞いていますが、まだ何日というところまでは聞いていません」

-最後に向けて何を歌おうかとか考えているか?

「今やっているコンサートでは、前半はコントを50分やっているんです。昭和歌謡を歌いながら、今はパート3まで続いているんですけど、まーちゃんは私よりも人気があるんです。こうやって歌だけではなく、こうして皆さんの楽しんでいただく顔を見るのがうれしかったですし、年末まで引き続き、コントありでやらせていただければと思います」

-1月にイベントで「いい人に出会える気がする」と言っていた。婚活は?

「婚活できる日にちがあるといいんですけど…。今のところ具体的には考えていません」

-お父さんへの思い

「実は本日が父の命日なんです。これは本当に父が天国でスケジュールをとったのかなと思うくらい。13年前の今日(3月27日)、もう1度歌を歌いますという会見を開いて、その日の夜に父が亡くなりました。また3月28日に引退の会見を行えたのは、本当に父が天国で見ているのかなと。こんな偶然あるのかなと思いました」

-まーちゃんにどんな言葉を

「あの子には本当にお世話になりました。まーちゃんの存在は、コンサートでどんなことをしたらいいのかと、スタッフ同士で話し合った結果、歌だけではなく、皆さんに笑っていただこうということがコンセプトにあって作り上げました。もしまーちゃんだけでよかったら、ひょっとしたら来年もあるかもしれないですね」

-引退の日に歌いたい曲は

「全曲歌いたいです! 締めは『せんせい』でしょうか」

-桜田淳子とメールでこれから遊ぼうと。百恵は引退、その後の付き合いはどのように

「それぞれ家族をもっていますし、そんなに頻繁にメールをしたり、電話したりはしません。でも気持ちの中でつながっていますので、これから先もずっと、10年くらいたったときにまた3人で会って話が出来たらという願いはあります」

-1度目の引退の時のお相手に何かお話はされた?

「なんてことおっしゃるんですか! するわけないじゃないですか!」

-前回の引退の時との心境の変化は

「今回の方が申し訳ない気持ちでいっぱいです。1度目の引退の時は、ご報告という形でしたので。これだけ時が過ぎて、またこれから第2、第3の青春を取り戻していきたいと思います」

-1日限りなど限定で歌ったりすることは

「ないです」