「あの世でもロックを」堺正章が内田裕也さんに別れ

「内田裕也Rock’n Roll葬」に弔問に訪れた堺正章(撮影・河野匠)

先月17日に肺炎で死去した内田裕也さん(享年79)のお別れの会「内田裕也 Rock’n Roll葬」が3日、東京・青山葬儀所で営まれた。

長年番組などでも共演した堺正章(72)が弔辞を読んだ。堺は「裕也さん、お疲れさまでした。あなた、私たち後輩にとっては良き手本でもあり、あしき手本でもありました。そのあしきの中に魅力がたくさん詰まっていたような、今思い返すとそんな気持ちになっています。良きとしてはロックンロールを貫いたということです。本来なら違う道を歩くこともできたと思います。でも貫き通すことを見せてくれた気がします」としのんだ。

さらに内田さんとのエピソードを明かした。「昔、裕也さんが僕に『堺、歌手として長生きするにはどうしたらいいか分かるか? ヒット曲を出さないことだ』と。それをあなたは貫きましたね」。

さらに、アントニオ猪木に、堺の振りで内田さんがビンタされた当時を振り返り「あなたは小さい声で『シェキナベイベー』って言ってましたね。でもそれは『医者呼んでくれ』って言っていたのを気付かなかった自分がバカでした。余計なこといって、あんな展開になってしまったと謝ったら、『堺、ありがとう』って。殴られたのは30年ぶりだったみたいで、『誰に殴られたの?』と聞くと『樹木希林に決まってるだろう』って」と明かした。

堺は「奥さんの樹木希林さんもつい最近あの世にいらっしゃいました。あなた呼ばれたんですよ、あなた1人でこの世にいちゃいけないって。でも他の人間を呼ぶのはやめてくださいね。まねができないすてきな人生。あの世でもロックやってください。そして地獄とは言わず、天国にいってください。裕也さんのことは一生忘れずに、生きていきたいと思います。お疲れさまでした」と締めた。

また半世紀近く親交があった、ミュージシャンの鮎川誠(70)も続いた。

「日本で最初のロックンローラー。裕也さんこそが日本のロックヒストリーだった。今年の46回目のニューイヤーロックフェス。僕は裕也さんが楽屋に来た時、声も聞こえないほどだった。でもステージに立たれた裕也さんを見ていたら、本当にステージでみんなのパワーをもらったんでしょう。満員の博品館劇場で、突然大きな声で歌われて驚きました。これがロック魂だと思いました。今年が最後になるとは思いませんでした。裕也さんのスピリットは、ロックバンドみんなが共有して、生きてる間はロックンロールやります! ありがとう! 安らかにお眠りください。ステージにはいつでも飛び入り大歓迎です! ロッケンロール!イエーイ!」と話し、会場からも「イエーイ!」と声が上がった。