宮川花子、危険な状態だった 多発性骨髄腫を公表

笑顔の宮川花子(撮影・前岡正明)

6月から体調不良で休演が続いていた漫才師、宮川花子(65)が11日、大阪市内で会見し、多発性骨髄腫で闘病中であることを明かした。奈良県内の病院で入院加療を続けながらも、本格的なリハビリに入っている近況も報告した。

花子は今年に入って体調が思わしくなく、6月25日に体調不良を訴えて、救急搬送。大阪・なんばグランド花月(NGK)の舞台を休演した。直後の6月29日に放送されたレギュラーのNHK「バラエティー生活笑百科」には車椅子で出演していた。

大阪、奈良の病院で入念な検査を受け、結果、多発性骨髄腫を患っていることが分かった。首や肩、胸椎付近などに全7カ所の腫瘍が見つかり、股関節にも骨折の跡があったという。病院に運ばれた当時は下半身不随の状態で、親族関係者によると「いつ死んでもおかしくない」状態で、非常に危険な容体が1週間ほど続いた。

状態が落ち着いた後も「胸から下が動かない」状態だったが、放射線治療を経て、化学療法に入り、病状も回復。かつて胃がんを克服した花子だったが、診断当初は「すごいショックやった」と振り返っており、夫の宮川大助(70)、1人娘の宮川さゆみ(41)と、筆頭弟子ら以外には、実母にさえも病気を伝えず。「腰を骨折した」とだけ伝え、病と闘ってきた。

病状を伏せ、治療に専念したい思いから、投薬治療の予定がある日は、病名を知らない身辺の世話をする弟子すらも帰していた。治療の効果があって、最近になって、やっとリハビリを本格化させることができたことから、記者会見を決意した。

休養中には、桂文枝、笑福亭鶴瓶ら先輩芸人や、芸人仲間、親しい関係者らから問い合わせが相次いだが、骨折で入院していると告げ、詳細は伝えず。娘のさゆみも「母はリハビリを頑張っています」と言い、気丈に振る舞ってきた。

花子は、記者会見開催を決めた9日になって、文枝らへ連絡が途絶えたことへの謝罪と、自分の口で状況を説明する電話を直接入れていた。

花子は74年頃にチャンバラトリオに師事し、大助は72年に宮川左近に入門。2人は76年4月9日に結婚し、79年に初舞台を踏んだ。87、90年に上方漫才大賞、90年は上方お笑い大賞とのダブル受賞。88年には花子が胃がんを患ったが克服。07年には大助が脳出血で倒れたが、リハビリを経て復帰。17年秋の褒章で紫綬褒章を受章するなど、夫婦漫才の第一人者として、上方漫才をけん引してきた。