史上最大の重圧に「任しとけ」五輪行進曲/連載4

「オリンピック・マーチ」のジャケット写真

<エールを君に!! 古関裕而を読む(4)>

古関裕而氏は、1964年(昭39)の東京五輪開会式で選手団が入場する行進曲「オリンピック・マーチ」を作曲しました。一世一代の大仕事でした。実は制作を始めた62年に、1曲の傑作マーチが世界を席巻していました。大ヒット映画「史上最大の作戦」の主題歌でした。古関氏はそんな重圧をものともせず、メロディーに「君が代」を忍ばせた会心の行進曲を完成させたのです。【笹森文彦】

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古関氏が東京五輪の行進曲の依頼を受けたのは、62年秋。53歳の時だった。作曲家人生の集大成と言える大役だ。本番の運営に万全を期すため、63年10月に史上初のプレオリンピック開催が決まっていた。逆算すると制作の猶予は約1年。オリンピック組織委員会からは「日本的な行進曲を」と要望された。難題だった。

曲づくりに専念していた62年12月、世界で大ヒットしていたハリウッド映画「史上最大の作戦」が日本でも公開された。第2次世界大戦の連合国軍による仏ノルマンディー上陸作戦を描いた戦争巨編。ジョン・ウェイン、ロバート・ミッチャムら世界の名優が顔をそろえた。主題歌「史上最大の作戦マーチ」も話題だった。「ダイアナ」の歌手で、出演者でもあったポール・アンカが作詞・作曲した。米アカデミー賞の作品賞、監督賞、作曲賞など7部門を獲得した映画「戦場にかける橋」(57年)の「クワイ河マーチ」に劣らないと評価されていた。

古関氏の妻・金子さんは早々に、高校生の長男・正裕さんを連れて東京・新宿ミラノ座に鑑賞に行った。見終わった直後から「あのマーチいい!」と絶賛。そして帰宅して玄関を開けるなり、仕事中の古関氏に「あなた、史上最大の作戦マーチ、すごく良かったけど、オリンピック・マーチは大丈夫!?」と聞いた。

プレッシャーになりそうだが、古関氏は「大丈夫だ。任しとけ」と答えた。やりとりを聞いていた正裕氏(現73)は「その言葉に父の自信を感じましたね。もうその時に構想ができ上がっていたと思います」。完成した「オリンピック・マーチ」のコーダ(楽曲の終結部分)に、「君が代」のメロディーがあった。 「オリンピック・マーチ」は、日本の戦後復興を世界にアピールするかのように、快晴の国立競技場に響いた。ただ残念ながら、最後の日本選手団が行進を終えた段階で演奏は止まった。会心の「君が代」のエンディングは、本番で演奏されてはいない。

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古関氏が五輪旗の掲揚、降納の際に演奏される「オリンピック賛歌」を編曲したのをご存じだろうか。同曲は第1回アテネ五輪(1896年)の開会式で演奏されたが、楽譜が消失。忘れ去られたが、62年後の58年に東京で開催される国際オリンピック委員会(IOC)総会を前に、ピアノ用の楽譜が発見された。60年の冬季米スコーバレー大会、夏季ローマ大会から使用されている。