文化放送・太田英明氏語るラジオ醍醐味/プロに聞く

番組進行中の「しゃべり手」を指名するポーズで笑顔を見せる文化放送太田英明編成局長(撮影・中島郁夫)

ラジオ生放送中に社長から編成局長昇進の辞令を受けた、文化放送の太田英明さん(57)。入社以来、ラジオアナウンサー一筋だったが、伝統あるラジオ局の番組編成全体を任されることになった。異例の出世街道を突っ走る太田さんが考える「おもしろいラジオ」とは?

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-社長直々に編成局長昇進の辞令を受けたのは、9月24日の「大竹まことゴールデンラジオ」生放送中でした

太田局長 もう青天のへきれきと言いますか、戸惑いしかなくて…。私はアナウンサーという立場で、リスナーに最も近いところにいました。そんな私が指名されたのは、リスナー・ファーストで番組編成を考えろ、ということかな、と受け止めています。

-放送では、社長から「いずれは社長に」との要請まで飛び出しました

太田局長 私、上昇志向はまったくなくて、とにかくおもしろいことを追い求めてきました。社長から「いずれ-」と言われ、「分かりました」と軽く応じたのは、お、お、大竹まことさんが……。

-もしかして泣いてますか?

太田局長 すみません…。大竹さんが、放送の前に打ち合わせスペースで…、『大事な太田さんを番組から手放すのだから、どうせなら社長を目指してがんばってくれ』と…。その気持ちがありがたくて…、応えることができたら、と軽く言ってしまいました…。はぁ…、ごめんなさい。

-気を取り直して。ラジオのおもしろさはどこにありますか

太田局長 若いころ、プロデューサーに教えられました。ラジオの生放送は台本通りに進んでも、それは及第点でしかない。台本を超える何かが生まれた時に120点になる。徹底的に準備したものを、本番では一切使わないのが、いちばんおもしろい放送だと。想定を超えた何かが起きるのが、ラジオの醍醐味(だいごみ)だと思いますね。

-なるほど

太田局長 東日本大震災の後、リスナーからのお便りを読んでいて、もらい泣きしたことがあります。アナウンサーとして失敗でした。でも、聴いている方に何か伝わったのなら成功です。おもしろければ大成功。今、共演しているはるな愛さんや室井佑月さんの提供クレジット読みにしても、放送に乗せちゃいけないレベルです。でもそれが味であり、インパクトも与える。だから愛される。それでいいんですよ。

手痛い失敗もあります。入社間もないころ、昼の生ワイド番組で、隠しマイクをつけた私が、町なかで見知らぬ男性にキスを迫るという企画がありました。これ、実は私へのドッキリだったんです。緊張していた私は、ドッキリだと知らされた瞬間、「こんな会社辞めてやる!」って泣いちゃった。中継が終わった後、プロデューサーに「あの失態は何だ」ときつく叱られた。「『やられたぁ』と笑って返すのがエンターテインメントだろ」とね。プロの世界の厳しさを教わりました。

-ラジオの原体験を教えてください

太田局長 巨人ファンだったので野球中継をよく聴いていました。音楽のベストテン番組も懐かしい。笑福亭鶴光さんのオールナイトニッポンも大好きで、影響を受けて、友達に「乳頭の色は?」なんて聞いていましたね。あのころは、町なかのいたるところでラジオが流れていたし、学校で話題になることも多かった。生活の中にラジオがありました。ラジオを聴いている人が、今よりずっと多かった時代です。

-それでラジオ局を志望した、と

太田局長 元々はテレビ志望だったんです。目立ちたがりで、大学時代は演劇をやっていたこともあって、自分が表現できる職業として目指しました。テレビ朝日、フジテレビは最後で落ちました。日本テレビでは、徳光和夫さんが面接に出てきて「君は声が小さいから向かないね」と。親切心だったと思いますが、落ち込みましたね。帰りの駅で見た広告に「向き不向きより前向き」とあって、もう少しがんばってみようかなと思ったのを覚えています。「向き不向きより前向き」。本当にその通りだなと思いますね。

-今後も番組出演は続けるそうですね

太田局長 局長職に専念すべきだという声もあるし、しゃべる局長もおもしろいと言う人もいる。しばらくは手探りが続くでしょう。先日、アナウンス部の仲間から、マイクの形のネクタイピンをもらいました。「編成局長になっても、太田さんのことはアナウンサーだと思ってるから」と。うれしかったですね。

-まずは「ゴールデンラジオ」と同時間帯のライバル「たまむすび」(TBSラジオ)打倒から?

太田局長 もちろんです。聴取率トップは本当に気分がいいんです。数字を出せば、すべてがOKになる。今後は少し離れたところから、よいところ悪いところ、さまざま見直して再びトップに立ってみせます。

-「ゴールデン-」出演も、あと2週間です

太田局長 最後の19日からは聴取率週間。大事な週です。以後、私は週1回の出演になりますが、何曜日に出るか、まだ決まっていません。最後の週で、どの曜日に私が残るか。曜日対抗の「太田英明争奪戦」みたいなものを企画しています。お楽しみに。

-改めて編成局長としての意気込みを聞かせてください

太田局長 これまでは、しゃべりさえよければ、とやってきましたけど、ラジオ界が置かれている環境にも意識を持たなければ、と思っています。今は、ラジコで全国の放送をいつでも聴ける。ポッドキャストなど音声メディアも増えています。データの採り方もさまざまで、ラジコの再生回数やSNSの反応などいろんな数値があります。何を指針に番組を作るか、各局とも考え、迷い、模索している時期。ラジオ界は、大きな変わり目にあると思います。ただ、基本は、より多くの方に聴いていただくことです。聴いていただけなければ、付加価値をつけられない。深さと量を追い求めるのが編成の役割だと考えています。

-どんな番組づくりを目指しますか

太田局長 やっぱり「おもしろい」番組ですね。政治や経済、社会の問題を真剣に語り合った5分後に下ネタ全開で笑ってる。哲学的な話をしたかと思えば、生活情報も入る。そんな、振り幅の大きい番組です。伊東四朗さん、吉田照美さん、大竹まことさん。ヒット番組のパーソナリティーとご一緒した感覚で言うと、どれも振り幅の大きい番組でした。人間的な幅のあるパーソナリティーが、話題を自在に動かしていく。そうでなければ、聴いている方には響きませんから。

-この秋、在京AMラジオ各局では、午後に新番組が始まったり、深夜の番組が夕方に引っ越したりと大きな改編がありました。一方で前の番組は、いずれも早々に打ち切られました

太田局長 動きが大きいですね。数字さえ取れれば、スポンサーがつく時代ではないので、私たちもどんな対策をとるか、他の部署とも話し合いながら、やっていきます。とにかく結果を出せるラジオ局にしていきたいです。おもしろい番組は、初めからおもしろいものです。最初は低空飛行だとしても、すぐに上昇します。1年たって上がる兆しがなければ、長くやる意味はないと、個人的には思います。

-90年代後半生まれの世代を対象とした新番組も始まりました

太田局長 先ほども言ったように、ラジコやポッドキャストなどラジオを聴く環境は整ってきました。若者向けの番組であっても、おもしろければ、どの世代も食いついてくる。幅広い年代の方々が愛聴する若者向け番組もできるんじゃないかな、と思います。有名芸能人を起用するだけじゃなく、無名だけどおもしろいパーソナリティー、ラジオ発で大きくなっていく人を育てたいですね。昔は、そういう人がたくさんいました。そんなラジオをもう1度、作っていきたいです。【取材・構成=秋山惣一郎】

◆太田英明(おおた・ひであき) 1963年(昭38)、東京都出身。中学、高校は水戸市で育つ。86年、文化放送入社。ワイド番組や芸能、選挙特番など幅広い分野の番組に出演。番組で共演した女性バンド、プリンセスプリンセスとの親交は知られ、解散コンサートでアナウンスを担当した。自他ともに認める恐妻家。編成局アナウンス部長を経て10月1日から現職。「大竹まことゴールデンラジオ」(月~金午後1時~)、「壇蜜の耳蜜」(月午後8時~)に出演。

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○…太田局長と14年半、番組を進行してきた大竹まこと(71)は「太田さんのハンドリングが素晴らしいというのはリスナーさんからも聞こえてきていました」と目を細めた。「冷静で、ちゃんとリベラルに語れるアナウンサー。ニュースを読んでいてもそこに意志が感じられる。アナウンスに思想がある」とたたえた。毎週水曜の「ゴールデンラジオ」で共演するきたろう(72)は「太田さんのフォローがなくなるのは厳しい。アナウンスのプロだから。現場を離れて偉くなるのも逆に寂しいんじゃないか」と、太田局長の“番組愛”を察した。