「映画と宇宙」その歴史をたどる

「2001年宇宙の旅」の1場面 (C)2018 Warner Bros Entertainment Inc.

<ニュースの教科書>

アジア初の火星探査に成功したインドの開発チームの奮闘を描いた「ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打ち上げ計画」が、正月映画として公開されました。夢のある宇宙は、夢を売る映画の世界で、もっとも華やかな舞台といえます。現実の開発計画を反映しながら進化を遂げてきた「映画と宇宙」の歴史を、たどってみましょう。【相原斎】

■「本物」

「映画と宇宙」。これを語る上で外せない作品が「2001年宇宙の旅」です。公開された68年は、アポロ8号が初めて月の有人周回飛行に成功した年。この数年前からリアルな宇宙がニュース映像でも伝えられるようになっていました。

20世紀を代表するSF作家と言われるアーサー・C・クラーク(08年没)とともにストーリーを考えたスタンリー・キューブリック監督(99年没)は、「本物」を知ってしまった観客を意識し、「クズと見なされない最初のSF映画」「広大な宇宙の中でのヒトの立ち位置を描く映画」を目指します。

それまでのSF映画は、科学的な裏打ちのない荒唐無稽な作品がほとんどでした。現在のようにSFX(特撮)技術も進歩していませんから、どうしても描写は薄っぺらに見え、お子さま向けとみなされていたのです。

キューブリック監督は、劇中でNASA(米航空宇宙局)が実際に開発した宇宙食を使い、宇宙船内のコンピューターも、当時の最先端企業IBMが「本物」を作りました。

■SFX

無重力空間、月、太陽磁場…。これらをリアルに再現するため、まだ初歩段階だったSFXを最大限に駆使し、現在ならCGで処理する膨大な作画も手作業で仕上げたのです。科学的な考証のために世界中から研究者や技術者が集められ、この中から後に「エイリアン」や「スーパーマン」といった人気シリーズを担うスタッフが育ちました。

アポロ計画を伝えるテレビニュースとは比べものにならない大画面(70ミリシネラマ規格)と精密な映像に、観客は息をのみました。一方で、宇宙船は画面を横切る直線的な動きが当時の技術では精いっぱいだったのです。

現実の宇宙開発では翌69年にアポロ11号が月面着陸し、新たなステージに突入します。71年には初の宇宙ステーション。75年には旧ソ連のペネラ9号が金星の地表を撮影。76年には米国のバイキング1号が火星の地表撮影と岩石採集を成し遂げました。

■重力が

惑星探査の成功が相次ぐ中、77年に「スター・ウォーズ」が公開されました。シリーズ創始者のジョージ・ルーカス(76)はこの映画のために、特殊効果に特化した会社ILM(インダストリアル・ライト&マジック)を設立します。コンピューター制御のモーション・コントロール・カメラを開発して、「2001年-」では直線的だった宇宙船の動きは変幻自在、思いのままとなりました。

公開中の「ミッション・マンガル-」には、開発責任者の女性が「私は『スター・ウォーズ』を見て、この道に進むことを決めた」と告白する印象的なシーンがあります。宇宙飛行士の野口聡一さん(55)も「『スター・ウォーズ』は私が宇宙飛行士を目指した原点」と明かしています。ルーカスと「スター・ウォーズ」はやはり映画史の中で特別な存在なのです。

ルーカスは宇宙船の金属疲労などをリアルに表現する一方で、その形状や計器類には独創的なデザインを施しました。何より、重力の変化をいっさい無視しています。ルーク・スカイウォーカーやダース・ベイダーは、どの星でもどの空間でも地球同様にしっかりと地に足を付けて行動しています。

■リアル

ルーカスや「未知との遭遇」(77年)「E・T・」(82年)を撮ったスティーブン・スピルバーグ(74)は、子どもの頃に見た一連のSF作品が大好きでした。B級作品が描く不思議世界に憧れた彼らは、当時は薄っぺらだった宇宙船や宇宙人を最新技術で「本物」にすることに力を注いだのです。見え始めた宇宙を科学的視点から映像化したキューブリックから時代が進み、かなり見えてきたリアルな宇宙にもう1度夢を見よう、見せようとしたのが、ルーカスやスピルバーグだと言えるでしょう。

2012年、米国のボイジャー1号が初めて太陽圏からの脱出に成功します。別の銀河系への有人惑星間航行を描いた「インターステラー」が公開されたのはその2年後でした。

メガホンは、昨年「TENET テネット」で注目されたクリストファー・ノーラン監督(50)です。完全主義者のノーラン監督は後にノーベル物理学賞を受賞したキップ・ソーン博士(80)を科学コンサルタントに迎え、時間と重力場、特殊相対性理論(ウラシマ効果)、ブラックホールなどの科学的検証を行いました。このアプローチから、「2001年-」に連なる作品と言えるでしょう。気鋭のノーラン監督は太陽圏外への探査に触発され、イマジネーションを膨らませたのです。

時々の映画は現実の宇宙開発からさまざまな影響を受けています。18年、起業家の前澤友作さん(45)が米スペースX社と民間月旅行の契約を交わし、話題になりました。民間宇宙旅行が当たり前の時代になれば、SF映画の様相もがらりと変わるかもしれません。

<日本の映画や漫画、少なからず影響>

キューブリック監督は「2001年宇宙の旅」を撮ったきっかけについて、日本の映画「宇宙人東京に現わる」(56年)に触発されたと明かしています。

当時の米国同様、B級作品のにおいがプンプンするタイトルですが、監督は「次郎物語」などで知られた島耕二。脚本は後の黒沢明作品で知られる小国英雄と一線級の組み合わせです。ヒトデ形宇宙人のデザインは大阪万博・太陽の塔で知られる岡本太郎が手掛けました。この2年前に公開された「ゴジラ」によって日本の特撮技術はすでに世界的に高い評価を得ており、この作品を担当した的場徹は後に円谷プロのウルトラシリーズを作った人。クオリティーはハリウッドをしのいでいました。

実はキューブリック監督は「2001年-」の美術担当を漫画家の手塚治虫に依頼したのですが、手塚は多忙を理由に断りました。「スター・ウォーズ」が黒沢の時代劇を手本にしたことはよく知られていますが、SF映画の金字塔となった作品には日本の映画や漫画が少なからず影響を与えているのです。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)の小惑星探査機はやぶさの快挙は、映画界にもお祭り騒ぎをもたらしました。大手の東宝、東映、松竹が映画化。11年から12年にかけて「はやぶさ HAYABUSA」(堤幸彦監督、竹内結子、西田敏行)「はやぶさ 遥かなる帰還」(滝本智行監督、渡辺謙、江口洋介)「おかえり、はやぶさ」(本木克英監督、藤原竜也、杏)の3本が公開されています。

◆相原斎(あいはら・ひとし) 1980年入社。文化社会部では主に映画を担当。黒沢明、大島渚、今村昌平らの撮影現場から、海外映画祭まで幅広く取材した。著書に「寅さんは生きている」「健さんを探して」など。一昨年、「スター・ウォーズ」シリーズでただ1人全作品に出演したC-3PO役のアンソニー・ダニエルズ(74)にインタビュー。ドロイド(ロボット)スーツに合わせ、42年間体形を維持した奇跡、その努力に感服した。