NHK大河「青天を衝け」なぜ幕末?なぜ渋沢栄一に

NHK大河ドラマ「青天を衝け」の菓子浩チーフプロデューサー

<ニュースの教科書>

第60作のNHK大河ドラマ「青天を衝け」(日曜午後8時)が今日14日からスタートします。日本資本主義の父と呼ばれ、福祉や医療、教育などにも力を注いだ渋沢栄一の生涯を描く作品です。主演は吉沢亮(27)。もともとは東京オリンピック(五輪)の翌年の作品として決まっていたわけですが、なぜ渋沢に決まったのでしょうか。大河の題材が決まるまでを、菓子浩チーフプロデューサー(CP)に聞くとともに、これまでの大河ドラマの歴史もひもといてみました。【竹村章】

第61作「鎌倉殿の13人」の発表は昨年1月、第62作「どうする家康」も今年1月でした。コロナ禍でスタートが遅れた第60作「青天を衝け」が始まる前に、2年後の作品がオープンになるのは異例です。もっとも、NHKは働き方改革のため、ドラマの制作は前倒しになっていました。今作品はいつごろ、どのように決まったのでしょうか。

菓子氏 部長に呼ばれ、21年の大河ドラマを担当するよう言われたのは18年でした。題材はこれをやれというのはありません。第60作にも意味はなく、ただ「麒麟がくる」の次なので、別の時代がいいかなと思いました。

-過去には戦国ものが続いた年もありました

菓子氏 同じ時代をやってはいけないルールはありませんが、同じ時代なら視点を変えねばなりません。

-60作中、戦国ものは20本。この時代は魅力的ですか

菓子氏 1つの時代の大転換で大きな物語のヤマがあります。うねりが作りやすいですよね。

-描く時代はどのように決まるのでしょうか

菓子氏 私は歴史にそれほど詳しくないので、歴史学者の方のレクチャーを受け、だいたい平安から昭和までどういう題材があるのか、勉強会を複数回お願いしたこともありました。脚本を大森美香さんに決め、それから二人三脚で考えました。

-それで幕末を

菓子氏 幕末は戦国と並んで人気の時代。大森さんが朝ドラ「あさが来た」を担当され、幕末をかなり調べていました。作家になじみがあるので、時代は幕末に決めました。

-戦国に比べると幕末は視聴率が厳しいというジンクスもあります

菓子氏 戦国ものでも数字が低い作品もあります。幕末は起きていることが複雑でそれを説明しようとすると物語が複雑になり、視聴者に敬遠されるのかなと思います。薩摩なのか長州なのか、会津なのか。見方によって解釈が違ってくるのも難しいですね。

-幕末でなぜ渋沢を

菓子氏 最初から渋沢を選んだわけではありません。何人かを選び、すでに描かれた方なら「差別化」を考えねばなりません。幕末は個性豊かな登場人物が多いのも魅力です。

-CPが人物を決められるのですか

菓子氏 いえいえ。まず分厚い企画書を作り、部長に出し、そこからセンター長、局長、役員まで上がり、最後は会長の承認も必要です。過去にはその段階でついえた企画もあります。

-19年4月に、渋沢が新1万円札の顔になることが発表されました

菓子氏 その段階ではまだ候補の1人でした。その後の話し合いで決まり、お札にも決まり、風も後押ししてくれた感じです。

-波瀾(はらん)万丈の人ですね

菓子氏 農民から尊王攘夷(じょうい)で武士になり、幕府を倒そうとしたら慶喜の家臣になり幕府に入る。幕府が倒れた後は新政府にスカウトされ、その後は実業家に転身。人生のおもしろさにひかれました。そして、周囲も個性豊かな人物が多い。いとこの惇忠(田辺誠一)は富岡製糸場の初代場長になりますし、同じくいとこで相棒の喜作(高良健吾)は途中まで渋沢と同じ道を歩みますが、徳川のために戦い、最後は函館の五稜郭で果てる。フィクションだと後付けする人物を創設しますが、その必要がないほどドラマチックな要素がたくさんありました。

-渋沢の名前は誰もが知っていながら、キャラクターは浸透していません

菓子氏 電気、ガス、鉄道、病院など、おおよその企業(の設立)には渋沢が関わっていますが、渋沢の恩恵を受けていることはあまり知られていません。そこは説明すれば理解はしていただけるかなと。あと、坂本龍馬や新選組のように刷り込まれたパブリックイメージもありません。大森さんが詳しく調べ、史実ベースで作られており間違ったキャラクターにはなっていないと思います。

-そもそもは東京五輪後の作品になるはずでした

菓子氏 コロナ禍など全くない時の企画でした。ポスト五輪はどうなっているのだろうかと。五輪まではイケイケでしたが、少子高齢化は進み、団塊の世代全員が70歳以上になる年でした。今まで当たり前だったものがなくなる、これまでとは違った時代を考えられる作品をやった方がいいと考えました。でも、コロナ禍で予想以上の変化が起きていますけど。

-最後に、主演に吉沢亮さんを選んだ理由を

菓子氏 どなたにお願いするか考えていた時、映画「キングダム」を見て、二役を見事に演じ分けていました。存在感やその強さに引きつけられました。「キングダム」だけではなく、目が離せなくなる芝居をされていた。今回は青春期を手厚く描くこともあり、吉沢さんにお願いしました。

◆「青天を衝け」 タイトルは、若き栄一が藍玉を売るために信州を旅し読んだ漢詩の一節「勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征」(青天を突きさす勢いで肘をまくって登り、白雲を突き抜ける気力で手に唾して進む)から取った。脚本は同局の連続テレビ小説「風のハルカ」「あさが来た」などを手掛けた大森美香氏。

◆竹村章(たけむら・あきら) 1987年入社。販売局、編集局地方部などを経て文化社会部。放送局などメディア関連の担当が長い。テレビの特集ページ「TV LIFE」を立ち上げたほか、現在も続く「ドラマグランプリ」創設にかかわった。個人的には「国盗り物語」を見て歴史に目覚める。現場では「秀吉」以降を取材。竹中直人演じる秀吉のふんどし一丁の“熱演”を、放送前に書けなかったことを後悔。

■大河ドラマの歴史 制作費1本7000万円超!?

NHK大河ドラマの第1作は「花の生涯」。1963年(昭38)4月に始まりました。この時は大河ドラマという名称ではなく、大型時代劇という位置付けでした。テレビは普及しつつありましたが、まだエンタメの主流は映画。映画界の5社協定も存立し、テレビへの劇映画提供を取りやめたり、専属俳優のテレビ出演を制限するなど、まだ対立が残る時代でした。

そんな中「花の生涯」のチームは、歌舞伎界から井伊直弼役を尾上松緑にオファー。さらに映画界から佐田啓二に出演依頼しました。5社協定から佐田の出演は無理かと思われましたが、佐田は直弼の家臣長野主膳役を引き受けることに。これで扉が開いたように、八千草薫、嵐寛寿郎、淡島千景、香川京子の出演も決まり、現在に続く大河ドラマの幕開けとなりました。

NHKによると、大河ドラマの名称がついたのは、第2作の「赤穂浪士」から。新聞に連載されていた1人の人物を丹念に描く作品が「大河小説」と呼ばれたことから、いつしか新聞社が大河ドラマと呼ぶようになり、名前が定着したようです。ちなみに「花の生涯」は毎日新聞に連載されていました。

「花の生涯」のスタートは63年4月。翌年の「赤穂浪士」は1月スタートで1年間の放送でしたが、放送開始時間は日曜午後8時45分。現在の午後8時になったのは、70年の第8作「樅ノ木は残った」からです。カラー化は第7作「天と地と」、ハイビジョン撮影は00年の第39作「葵 徳川三代」から。19年の第58作「いだてん」以降は高精細な4Kで撮影されています。

大河ドラマといえば、戦国時代を描いた作品が多く、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三傑がいた時代だけに書かれた作品も多数あります。日本各地に戦国武将がおり、題材は豊富。戦国ものはヒット作の多さでも知られています。

また、キャストの皆さんが声をそろえるのはオープンセットの巨大さや豪華さ、スタッフの充実度。制作費も多額です。NHKは個別の番組の制作費は公表していませんが、分野別の数字は明かしています。そこから推測すると、大河ドラマには1本あたり最大七千数百万円の制作費が投入されているようです。