TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜午前5時)が、来月5日に6000回目の放送を迎える。1998年(平10)4月6日の放送開始から23年。パーソナリティー生島ヒロシ(70)のアナウンサーとしての歩みを「生島ヒロシ6000回の歩み」と題して連載する。
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アメリカ留学から日本に帰ってきて、1976年(昭51)1月1日にTBSにアナウンサーとして入社したけど、なんかしっくり来ない。生中継があって“菊のご紋”があっても、全然間近に見たことなかったから、よく分からない。宮城の田舎から直接、アメリカに行ったようなものでしたから。「菊のご紋は皇室」って言われて、「うわーっ」と。とにかく、あまりにも自分の常識のなさに、正直、落ち込むんですよ。大問題でした。
それでも、そういう壁にぶち当たった若者を、温かく見守ってくれる先輩がいる。僕の話じゃないんですけど、前に84年ロス五輪女子マラソン代表だった増田明美さん(57)と話していて、16年に亡くなった永六輔さん(享年83)の話になったんです。92年に現役を引退した増田さんが「結納」を「けつのう」と読んだそうなんです。永さんは「そういうことを知らない君が面白い」と、増田さんを自分のラジオ番組に起用するわけですよ。若くてマラソンのことは詳しいけど、一般常識の分からない増田さんを。「そういう私を育ててくれた」と増田明美さんから聞きました。
増田さんは「マラソンはただ走るんじゃなくて、走る人の人間が見たい」と言っています。彼女のいろいろな取材は、やっぱり永さんなんですよね。永さんは、僕の先輩の久米宏さん(76)に影響を与えて、僕は久米さんから影響を受けました。そういうDNAが続いているんです。
そんなことがあって、アナウンサーとして壁にぶち当たっていた僕に、アドバイスをくれた人がいました。とにかく間の取り方が悪いから、落語を聞きに行けってね。落語とか漫才を、しょっちゅう聞きに行ってましたね。本当に必死になって勉強しました。TBSに入ることがゴールじゃないから。いつの日か独立するという気持ちは、1年目から思っていましたから(笑い)。
同期の人間なんかは「夢はアナウンス室長」と言ってました。だけど、僕は口には出しませんでしたが、もっと違う世界に行くんだと思っていました。事業欲みたいなものとか、政治の世界にも興味がすごくあったんです。「アナウンサーだけで終わらない」という気持ちがどこかにあったと思うんです。
でも、久米さんとかの話を聞くと、あの人は女兄弟の下の末っ子だから、「ご飯食べる前に紅を引いて、おそばを食べる芸者さんが赤坂にいた」なんてことを言う。多分、久米さんがいたから引いたと思うんですが。そしたら、久米さんは「なんであの人、ご飯食べる前に口紅を塗るのかねぇ」なんてことを、スラッと言うわけですよ。
僕なんか、そんなの全く及びもつかない。アナウンサーというのは、いかに人が気が付かないところに気付くがどうかという。そういう感覚が大事なんですよね。僕はどちらかというと大ざっぱなタイプなわけですよ(笑い)。「まぁ、いいんじゃないの」っていう、アバウトな感じで。でも、久米さんの言葉選びっていうのは違うんですよ。
(続く)
◆生島(いくしま)ヒロシ 1950年(昭25)12月24日、宮城県気仙沼市生まれ。71年に法大経営学部を中退して渡米。75年カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科卒。76年TBS入社。89年にフリー。現在のレギュラーはTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線」(月~金曜午前5時)。長男は俳優生島勇輝(36)次男は俳優生島翔(35)。血液型A。