TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜午前5時)が、5日に6000回目の放送を迎える。フリーアナウンサー生島ヒロシ(70)がパーソナリティーを務め、1998年(平10)4月6日の放送開始から23年。生島の歩みを「生島ヒロシ6000回の歩み」と題して連載します。
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1989年(平元)4月に独立したんですが、まだまだいばらの道ですよね。でも、自分でやるっていうのは、やった分だけお金が入ってくる。年収もTBSの局アナ時代の10倍いきましたから。それはそれで面白かったんですけど、その分、数字(視聴率)が取れないと、番組がすぐ終わっちゃったものもあります。
フジテレビの午前10時台生放送の帯番組は「生島ヒロシのおいしいフライパン」から「生島ヒロシのもっと・自由な生活」に名前を変えて、1年半続きました。TBSのことしか知らなかった僕にフリーの道をつけてくれて、いろいろな勉強をさせてくれた思い出深い番組です。
その後、古巣のTBSに引っ張られて「ビッグモーニング」の司会を90年10月から務めます。月曜から金曜日の朝7時の情報番組です。TBSの入社試験で「いずれフリーになって恩返しします」と言った僕にとっては大きなチャンスです。この時、コンビを組んだのが、その半年前にフジテレビを辞めてフリーになっていた寺田理恵子ちゃん(59)。TBSからフジへ行って、理恵子ちゃんを連れてかえってきたから、立派な恩返しですね(笑い)。
フリーになって古巣が使ってくれるっていうのは、本当にうれしいものです。93年3月までの2年半頑張って、結構数字(視聴率)も取ることができました。理恵子ちゃんはその後、家庭に入りましたが、7年前にフリーアナウンサーとして復帰する際に、僕が会長を務める「生島企画室」の所属になってくれました。今も、いろいろな現場で一緒になりますが、かつての“戦友”と働けることに喜びを感じています。
94年4月からは、またフジテレビで朝のワイドショー「おはよう!ナイスデイ」の司会を1年半務めました。ありがたいことに、その頃は日本テレビ、テレビ朝日などからも、合わせて4本くらいワイド番組のオファーが来ました。それだけ、注目をされていたんですね。1つの番組が終わっても、すぐに。でも、それがだんだんと減っていくわけですよね(笑い)。
ワイド番組以外にも、いろいろな番組の司会をさせていただきました。90年10月に始まったフジテレビの「風まかせ 新・諸国漫遊記」は、土曜昼間の旅を紹介する番組でしたが、9年半も続きました。「風まかせ~、風まかせ~」という長唄調のテーマ曲と、VTR紹介の際の「新諸国、漫遊記~」という指で○を描くしぐさが懐かしいですね。
先月28日の放送で27年半の歴史にピリオドを打ったTBSの「スーパーサッカー」の初代司会者は僕だったんですよ(笑い)。93年10月から00年12月まで7年3カ月務めさせていただきましたが、番組開始当初はJリーグが始まったばかりで、サッカー人気はすさまじかったですね。
当時からスーパースターだったカズ、三浦知良選手(54)が、まだ現役というのもすごいですね。あと番組で作っていた「コモエスタ赤坂」というフットサルチームの監督をやらせてもらったんですが、選手が木村和司さん(62)と水沼貴史さん(60)という元日本代表のレジェンドたち。監督冥利(みょうり)に尽きました(笑い)。(続く)
◆生島(いくしま)ヒロシ 1950年(昭25)12月24日、宮城県気仙沼市生まれ。71年に法大経営学部を中退して渡米。75年カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科卒。76年TBS入社。89年にフリー。現在のレギュラーはTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線」(月~金曜午前5時)。長男は俳優生島勇輝(36)次男は俳優生島翔(35)。血液型A。