生島ヒロシ 5日6000回目の放送です/連載20

インタビューに臨む生島ヒロシ(撮影・小沢裕)

フリーアナウンサー生島ヒロシ(70)がパーソナリティーを務める、TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜午前5時)が、今日5日に6000回目の放送を迎える。1998年(平10)4月6日の放送開始から23年。その足跡を「生島ヒロシ6000回の歩み」と題して振り返りました。

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98年4月6日に、TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」を始めて23年。今日、21年(令和3)4月5日に6000回目の放送を迎えました。

でも、僕の後ろの時間をやっている森本毅郎さん(81)のTBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ」は90年の4月からで、今年1月には8000回を超えました。86年4月から16年4月までやったTBSの先輩の大沢悠里さん(80)のTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」は7806回の放送でした。まだまだ、すごい先輩が、いるわけですよ。目標ですね。森本さんは81歳で、あの滑舌の良さ、頭脳明晰(めいせき)。森本さん、NHK時代からかっこよくて、すごい人気でしたよね。

「おはよう-」が、始まった当初の3カ月間は本当につらかった。同じ時間帯の前任者が榎(えの)さんの愛称で親しまれた、榎本勝起さん(91)という“ラジオ界の巨人”でね。榎さんは本当に知識人で、百科事典みたいな人だった。霞ケ関の官僚とか、すごい人たちが出勤する前に聞いていたんですよ。

当時はスポンサーが若返りを図りたいっていうことで、僕を持ってきた。それから3カ月間はバッシングの嵐。リスナーから「聞くに堪えない」「うるさい」「速すぎる」ってね。まぁ、すさまじかったですよね。前任者が偉大だったから。悠里さんからは「俺が生島だったら、やらない。だって、もうリスナーが信者で、宗教みたいなもんでしょう。“榎本教”のところに入り込んで、それはね、総たたきされるよ」って言われてね。

それまではテレビで、ゴールデンタイムから帯番組まで、散々やって鍛えてきたわけじゃないですか。それなりにフリーで生き残ってきた自覚も自信もあったんです。ラジオの番組を改めてやるに当たっても、簡単じゃないっていうイメージを持ちました。1人しゃべりですから。新たなグレートリセットですよ。つまり、しゃべり手として「もう1回、一から出直そう」という気持ちになったんです。このままじゃダメだと思ってね。

この番組を始めて「俺はこれをライフワークにするぞ」と心に決めました。ラジオのためにいろいろな、ありとあらゆる情報を集めた。スポンサー集めもやりました。スポンサーが変わる時に、パーソナリティー自ら会いに行ってね。それで「生島企画室」が広告代理店として、CMを扱ったんですよ。それが僕の人生を変えました。そこからの発想が新しい軸になっているんです。

その時は広告代理店として、TBSラジオで電通、博報堂、生島企画室の順の取扱量ですから。TBSラジオの中で3位ですから。テレビもですけど、スポンサーがいなけりゃ、民放ラジオは成り立たないっていうのを、僕は体感させてもらいました。それが僕の強みでもあるわけです。番組というのは、しゃべりをうまくすればいいだけじゃないと。生き残っていくためには、営業面だとかのバランス感覚が大切だと勉強させてもらいました。古いこと、新しいこと、いろいろなものの集大成だと思っているんですよね。

この番組をやって来て、僕が一番自慢できることは病欠がないことです。遅刻は2回、ありますけどね(笑い)。フリーになる時から、健康には特に気をつけています。フリーアナの先輩で、かわいがってもらっていた、逸見政孝さんが93年に48歳の若さで亡くなった。あれはひとごとじゃなかった。見せていただいた、棺の中の逸見さんの顔が悔しそうにしていたのは忘れられません。俺は死ぬわけにはいかないと思って、体に気をつけるようになりました。

「おはよう-」が始まった時、これからは健康だ、と。とにかくドクターに番組に出てもらって、いろいろ話してもらいました。それでドクターのネットワークができて、頭のてっぺんからつま先まで、トップドクターに見てもらえるようになりました。これから70歳から80歳は病気のリスクが高くなっていくから、それを乗り越えていきたいなと思います。

ラジオに軸足を移し、今は毎日が生き生きと輝いています。お世話になった広告会社ビデオプロモーション創業者の藤田潔さんが、先月9日に91歳で老衰で亡くなられました。藤田さんから「ラジオで活躍する生島君を聞いて、顔が見えるようになった」と言われたことがあります。その言葉は、僕の宝ものです。

番組開始から、23年ちょうどになる明日6日は6001回目。7000回へ向けて新しいスタートを切りたいと思います。(終わり)

◆生島(いくしま)ヒロシ 1950年(昭25)12月24日、宮城県気仙沼市生まれ。71年に法大経営学部を中退して渡米。75年カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科卒。76年TBS入社。89年にフリー。現在のレギュラーはTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線」(月~金曜午前5時)。長男は俳優生島勇輝(37)次男は俳優生島翔(35)。血液型A。