「はじめの一歩」森川ジョージ氏「寒気する程才能の塊」三浦建太郎さん悼む

森川ジョージ氏(2019年10月3日撮影)

ボクシング漫画「はじめの一歩」などの作品で知られる漫画家の森川ジョージ氏が、急性大動脈解離のため54歳の若さで亡くなった漫画家三浦建太郎さんと知り合った10代当時の思い出を振り返り、「彼と出会えたことが自慢であり誇りです」とつづった。

森川氏は20日、ツイッターを更新。三浦さんの訃報に触れ、「寒気がするほどの才能の塊でした。お互いこの歳まで作家でいられてよかった、と思っていました。急な知らせでショックです」と、早すぎる死を惜しんだ。

初めて週刊連載をもった19歳のころ、当時18歳で大学生だった三浦さんがアシスタントとして自身の元にやってきたという。「彼がどれほど描けるのか知らないので自分の描いたものを見せて、これに似せて下さい、と。出来上がりに度肝を抜かれました。あまりにも年齢にそぐわないのです。何点が描いてもらった後、すでに僕は彼に興味津々でした。まだ若かった僕らは手を止め漫画のことを語り合いました」と、そのときのエピソードをつづった。

続けて「気になっていたスケッチブックを見せてほしいとお願い開いてみたら、さらに度肝を抜かれ鳥肌が立ちました」。そこには後に三浦さんの代表作となる「ベルセルク」のキャラクターが描かれていたという。「『頭の中にあるものです。力をつけてから描きたいと思っています』と。いつから温めていたのだろうか。すでにそこにはベルセルクはありました。月日は経って僕ははじめの一歩は連載開始します。ほぼ並行してベルセルクが発表されます。苦労話も少し耳にしていました。しかし確信していました。絶対にウケる漫画が始まったと。あの建太郎君が力をつけたと自身のことを判断し、満を持して始めた連載なのです。きっと世間は僕と同じように度肝を抜かれるだろうと確信していました。そしてそうなりました」と振り返った。

「超絶の画力にして渾身の画面。毎回のエネルギーには尊敬しかありません」と森川氏。「彼とはその時だけですが僕のことを気にしてくれていたと聞いています。僕も彼と出会えたことが自慢であり誇りです。勝手に喋ってしまって、ごめんね建太郎君。いつか最終回読みに行くよ」とつづった。