小津安二郎監督の作品などのプロデューサーを務めた、元松竹取締役の山内静夫(やまのうち・しずお)さんが15日午前8時13分、老衰のため亡くなった。96歳だった。18日、松竹が発表した。葬儀などは家族で執り行った。
山内さんは作家・里見■(■は弓ヘンに享)の四男として1925年(大14)に神奈川県鎌倉市に生まれ、慶大卒業後の1948年(昭23)に松竹に入社。大船撮影所の製作宣伝課に所属し、翌49年の小津監督の映画「晩春」の宣伝を担当。56年「早春」以降の小津作品では、プロデューサーを務めた。58年の「彼岸花」は製作にあたり、父の里見が小津監督と脚本家の野田高梧氏からの依頼で小説を書き下ろした。
2013年(平25)に「小津安二郎監督生誕110年・没後50年記念プロジェクト」が立ち上げられた際には総監修を務め、小津監督の53年「東京物語」4Kデジタル修復版などの監修も行った。同5月10日に都内の松竹本社で行われた会見で、山内さんは「小津は、戦争経験を自分の作品の中から抹殺してはいけないという考えが強くあった。それを声高に言わないところが、小津作品。むしろ、そんなことを言っていないように見えるでしょう? いかに、さりげなく見せるのか、というのが、小津映画の1つの特色。若い人には見えにくいかも知れませんけどね」と小津作品について熱く語った。
小津監督は、結婚による父娘の別れや、父母の死による家族の解体など、一貫して家族をテーマに作品を作り続けた。山内さんは「家族の問題でもね、『麦秋』(51年)とか『秋刀魚の味』(62年、小津監督の遺作)のラストシーンなんかでも、奥にある人生の暗い部分を、明るい家の中にも、ちゃんと忘れずに用意しているといういうところが、年配の人にも若い人にも理解される。そういう奥深さがある」と評した。
小津監督の一連の作品は極力、低いカメラ位置から撮影する「ローアングル」や厳密な構図など「小津調」と呼ばれる、独自の世界観を構築している。山内さんは「小津さんの映画を見ると、変わらないものをやっている。古くなるようなもの、時代を濃く表すようなものを入れていないんですよ。その当時の、はやり言葉など一切、使わない。そうすると、その作品はその時代のものだというふうに見られてしまう。そういうことは、小津さんは極力、避けた。そこに、小津映画の普遍性がある」と説明した。
「小津安二郎監督生誕110年・没後50年記念プロジェクト」立ち上げ前年の12年には、小津監督の「東京物語」が英国映画協会発行の「サイト・アンド・サウンド」誌が発表した、世界の映画監督358人が投票で決める最も優れた映画に選ばれた。山内さんは、記者から「小津監督は自らの作品が後世に残ることに、どういう見解を持っていたか?」と聞かれると「自信を持っていたと思いますけどね」と語り、キャリア後半期に口にしたという小津監督の発言を紹介した。
「俺の映画はね、外国の人は分からないと松竹なんかは思っているのかも知れないけれど…とんでもない話で、俺の映画は、どこの国でも分かる。親子の関係の中でもプリミティブ(根源的なもの)だけを選んでやっているから、どこでも通用するんですよ」
また、山内さんは監修した「東京物語」4Kデジタル修復版の映像の感想を求められると「4K…あんまり、きれいになるんでね。ちょっと別のものを見るような感じがするよ。素晴らしい。あんまり美しすぎると、どうですか? そんな感じ、ちょっとしたね。(当時より)きれいですよ」と笑みを浮かべていた。
公開中の「キネマの神様」(山田洋次監督)には「東京物語」で原節子さんが出演する名シーンを、北川景子(34)が演じて完全再現したシーンがある。山田監督は5日に都内の新宿ピカデリーで行われた公開記念舞台あいさつで「カメラポジションも、エキストラの配置も、衣装も原節子さんのそのままを再現した。小津安二郎の映画を、そっくりまねようとした。レンズのぞいたら不思議な感じ…ゾクゾクした。小津安二郎が近くにいる…カメラをのぞいた僕しか分からない感覚じゃないかな。小津さんとは話をしたことはないけれど、会った気がしましたね」と語った。
小津監督の名作をオマージュしたシーンが織り込まれた、松竹映画100周年記念作品の公開中に、小津組のプロデューサーだった山内さんが亡くなった。日本映画の1つの時代が、また1つ、幕を下ろした。【村上幸将】