笑福亭仁鶴さん死去、17年夫人と弟子相次ぎ亡くし精神的に落ち込む日々も

12年11月、インタビューで丸ポーズを決める笑福亭仁鶴さん

上方落語の重鎮、笑福亭仁鶴さん(本名・岡本武士=おかもと・たけし)が17日に骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で亡くなっていたことが20日、分かった。84歳。所属の吉本興業が発表した。20代のころから「爆笑男」と呼ばれ、高座で活躍する一方、テレビ司会者としても人気。CM「ボンカレー」も話題を呼び、「どんなんかな~」とのギャグも生み出した。80歳を超えても高座やテレビで活躍していたが、17年6月に隆子夫人(享年72)を亡くしてから、精神的に落ち込む日々も多かった。

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上方落語の存在を全国に広めた「至宝」が力尽きた。筆頭弟子の笑福亭仁智(69)によると、亡くなる2日前にも会話ができていたといい「2時間、いろいろなお話をしたばかりなので、びっくりしました」とショックを隠せなかった。

最後の仕事は、18年10月の京都国際映画祭でのあいさつになったが、亡くなる前日まで体調に変化はなし。上方落語関係者によると、仕事への意欲も見せていたともいい、急変だった。最期は義姉らにみとられて旅立った。葬儀はすでに一門や親族の近親者、関係者らで終えたという。

仁鶴さんは17年5月に体調を崩し、大阪・なんばグランド花月など舞台やレギュラー番組の休演が続いた。段階的に復帰を試みるも、同6月初めに最愛の夫人を亡くした心労から、再び同7月半ばごろから休みがちに。それでも18年9月、大阪・天満天神繁昌亭で、故6代目笑福亭松鶴さん「百年祭」に出演し、立位でトークを展開した。

戦後20人にも満たなかった上方落語を復興させた上方四天王の、そのすぐ下の世代で、上方落語を全国に広めた旗手が仁鶴さんだった。80代に入っても高座、レギュラー番組に出演。「健康管理は何もせんのが一番です。笑うことですな」と話していたが、夫人を亡くした痛手は大きかった。

一門関係者に「人と一緒におるのがしんどい」などと漏らすこともあった。17年12月、弟子の笑福亭仁勇さんが亡くなった際は、葬儀に出席できなかった。

夫人、弟子を相次いで亡くした翌18年、盆を前に一門が集まった際にも、筆頭弟子の仁智によると、仁鶴さんは「時間が(悲しみを)忘れさせてくれるかと思うたけど、そうはいかんな」と漏らしたという。

仁鶴さんは、高校時代に初代桂春団治の落語を聴き、素人参加番組に出演。62年ごろ、ABCラジオ番組で審査員だった故6代目笑福亭松鶴さんに師事した。当時の仲間に「爆笑王」と呼ばれた、米朝一門に入った故桂枝雀さんがいた。

6代目松鶴一門は松竹芸能所属だったが、仁鶴さんは吉本。一門によると、3代目染丸ら師匠筋が「あいつは多才。吉本向き」と進言したためという。「不動坊」「崇徳院」「くっしゃみ講釈」「池田の猪買い」など多彩な持ちネタをバリトンボイスで操る大阪弁は、言葉に厳しかった米朝さんも一目置いていた。

一方では、「ヤングおー!おー!」など、テレビ司会者としても人気は絶大で、多くのテレビレギュラーを抱え、CM出演もあった。多才ぶり、その器用さを見抜いた師匠連が「吉本向き」と判断したようだ。

その人気ぶりから「視聴率を5%上げる男」の異名がつけられた。吉本興業では、故林正之助氏からも敬われ、05年には、同社の特別顧問に就いていた。【村上久美子】

◆筆頭弟子の笑福亭仁智(69) 上方落語の存在を全国に知らしめたパイオニアで、功労者。弟子として少しでもその芸を継承し、功績を継承したい。まだまだ、相談したいことがあったので、悔しいです。今はゆっくり休んでいただきたいです。

◆6代桂文枝(78) 大変驚いて、動転致しております。私が学生の頃から親しくしていただき、吉本興業に入ってからも、ご指導いただきました。テレビ番組もたくさんご一緒させていただきました。映画「男三匹やったるでぇ!」で共演をさせていただき、思い出はつきません。どうか、どうか、安らかにお眠りくださいませ。本当にお世話になりました。いまはそれしか言葉が見つかりません。

◆桂ざこば(73) とても残念です。若い時に「五人の会」という落語会を仁鶴先輩、先代の春蝶さん、小染ちゃん、そして当時小米だった枝雀兄ちゃんでやっていて、中でも一番、売れてはったので、すごい人やなと思っていました。ゴルフを勧めたのもおそらく私で、同じ左利きで一緒に回った人たちには、なんややりにくいなぁと言われたのを思い出します。長いことお疲れさまでした。

◆西川きよし(75) ラジオでは機関銃のようにしゃべり、テレビでは爆笑に次ぐ爆笑。そして劇場では天井がぬけるほどの笑いの波、その後、やすしきよしが出るのです。いつも相棒と仁鶴さんに追いつけ追い越せで頑張ってまいりましたが、ついに追い越すことはできませんでした。四角い仁鶴さんが、まるくかわいい隆子姫(奥様)に、もうすぐお会いできますね。本当におつかれさまでございました。ごゆっくりお休みください。ご冥福をお祈り申し上げます。

◆笑福亭仁鶴(しょうふくてい・にかく)本名・岡本武士。1937年(昭12)1月28日、大阪市生まれ。初代春団治のレコードを聞き落語家を志し、61年に6代目笑福亭松鶴さんに師事。吉本興業に所属し、桂三枝(6代文枝)と吉本落語家の顔として活躍。86年から司会のNHK「バラエティー生活笑百科」では「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせ~」のセリフで人気に。大塚食品「ボンカレー」などCMにも出演し、夫人とテレビ番組も。

◆骨髄異形成症候群 骨髄の造血幹細胞に異常が起き、赤血球や白血球、血小板などができなくなるがんの一種。中高年に多く、発症のピークは70代。進行に従い、息切れやだるさ、疲れやすさといった貧血症状が出たり、原因不明の発熱が起きたりする。急性骨髄性白血病に進展する場合がある。症状や病状の進行は個人差が大きい。治療は症状に応じ、赤血球輸血、造血幹細胞の移植などがある。放送作家で元東京都知事の青島幸男さん、コメディアンの関敬六さん、アニメ「サザエさん」カツオ役で知られる声優高橋和枝さんも闘った。