作詞家の里村龍一(さとむら・りゅういち)さん(本名鈴木政市=すずき・せいいち)が5日午後1時38分、アルコール性肝硬変のため都内の自宅で死去した。72歳だった。通夜は14日午後6時から、告別式は15日午前10時30分から、いずれも東京都中央区築地3の15の1、築地本願寺 第二伝道会館で営まれる。喪主は妻綾子(あやこ)さん。
関係者によると約3カ月前から体調を崩し、寝込む生活が続いていたという。
北海道釧路市生まれで、常に北海道弁で話した。こわもてで豪快だったが、根はシャイで照れ屋だった。どうして作詞家になったのかと聞くと「他に仕事がなかった」と答え、作詞家希望の人へのアドバイスは「やめた方がいい」。ユーモアのセンスも抜群だった。
里村さんは中学卒業後、漁師となった。成人し、しけで漁に出られない時には、パチンコ店が居場所となった。そこで流れる演歌を聴き、演歌通になった。ある時、船にあった週刊誌で「森進一の歌詞募集」を見て応募した。パチンコ店での経験を生かした。これをきっかけに「港町ブルース」「おふくろさん」など森の数々のヒット曲を手掛けた作曲家の猪俣公章氏にスカウトされた。上京し弟子入りした。そして76年に森の「しあわせ挽歌」で作詞家デビューした。
大好きなお酒の歌詞は絶妙だった。里村さんと親しい音楽ディレクターは、香西かおりの「雨酒場」のフレーズが絶妙と評した。
「おちょこにお酒つぐたびに 涙が落ちる 音がする」
1人酒場で、手酌で飲む女性の心情や情景が、まざまざと浮かぶ。
興が乗ってくると、カラオケを歌った。しかも替え歌で歌った。「作詞の勉強」だった。作詞の持論は「うそは書かない」。千昌夫の「望郷酒場」や香西かおりの「流恋草」、氷川きよしの「初恋列車」など数々のヒット曲を持ち、12年から13年には日本作詩家協会の会長も務めた。
85年に細川たかし(71)の「望郷じょんから」で第18回日本作詩大賞を受賞した。細川は「里村先生の訃報を聞き、またお世話なった先生が亡くなってしまい残念です。今は天国でゆっくりとお休み下さいと祈るばかりです。先生には私の代表曲『望郷じょんから』を作っていただきカラオケのプロモーションビデオにも共演いただくなど大変お世話になりました。謹んで心よりご冥福をお祈り致します」とコメントした。
昭和という時代を背負い、海と酒と望郷と演歌特有のテーマを得意とした。キャラクター的にも希有の作詞家だった。【笹森文彦】