柳家小三治さん心不全で死去 病と闘い高座に 絶妙な間合いで世界観つくる

柳家小三治さん(2019年10月3日撮影)

人間国宝の落語家柳家小三治(やなぎや・こさんじ)さん(本名・郡山剛蔵=こおりやま・たけぞう)が7日、心不全のため都内の自宅で死去した。81歳だった。10日、落語協会が発表した。故人の遺志により、葬儀は密葬で営まれた。最後の高座は今月2日、東京・府中の森芸術劇場での「猫の皿」だった。

ひょうひょうとした芸風で大ネタから滑稽噺(こっけいばなし)まで絶妙な間合いで世界観を作り、落語好きから初めて聞く者までを魅了する名人だった。

小三治さんは今年3月の検査入院で腎機能の数値に問題があったとして、約1カ月間入院した。退院後はリハビリと投薬治療を続け、5月に兵庫県で行われた落語会で復帰した。

もともと体が丈夫な方ではなかった。持病のリウマチ、糖尿病と闘いながら高座に上がり続けていた。17年1月に寄席の高座で「アルツハイマーの疑いがあると言われた」と明かした。ネタを言い間違えたり言い淀むすることはなかったが、関係者によると物忘れがひどくなったため治療しているとした。

同年8月には「変形性頸椎(けいつい)症」のため手術を受け、3週間休養した。小三治さんによると、手術は「首の骨を並べ替える」大手術だったそうだが、同年9月の復帰高座では「これからも一生頑張ります。もっと生きて、お話を聞いてもらいたい」と意欲的だった。

都立青山高で落語研究会に入部。ラジオ東京(現TBSラジオ)「しろうと寄席」を15週連続で勝ち抜いた。大学受験に失敗して浪人中だった時、小学校教師の父親の猛反対を押し切って5代目小さんに入門した。

平成を代表する名人だった。大ネタ、滑稽噺、前座噺まで、小三治さんにかかれば、あっという間に落語の世界に引き込まれる。本題のネタに入る前のまくらのおもしろさでも知られ、まくらに特化した「ま・く・ら」という著書も出しているほど。独演会を開けばチケットは即完売だったが、小三治さんは初めて落語に触れる人を大事にしていた。日刊スポーツのインタビューには「落語を初めて聴いた人から『面白かった』と言われるのが一番好きです。はなし家冥利(みょうり)に尽きる」と答えている。

若手の育成にも力を注いできた。10年に落語協会会長に就任すると、落語家の昇進に関しては実力を重視する方針を打ち出した。通例では一定の年数を務めると昇進できたが、「育ち状況から判断します。落ちこぼれが出ることもありうるけどそれでいい」と宣言した。その後、春風亭一之輔を21人抜きで真打ちに昇進させるなど、有言実行を見せた。14年に体調面の不安などもあって退任したが、小三治さんは常に、落語界全体を気に掛けていた。

同年代の人気落語家は古今亭志ん朝さん、立川談志さんとともに落語界をけん引してきた。01年に志ん朝さん、11年に談志さんが亡くなった後、人気も責任も背負ってきた。落語界の喪失はあまりにも大きい。

◆柳家小三治(やなぎや・こさんじ)本名・郡山剛蔵(こおりやま・たけぞう)。1939年(昭14)12月17日、東京都生まれ。59年に柳家小さんに入門し、前座名「小たけ」。63年に二つ目に昇進して「さん治」に改名。69年の真打ち昇進後、10代目「柳家小三治」襲名。出囃子は二上がりかっこ。05年紫綬褒章を受章。14年に人間国宝に認定。10~14年落語協会会長。趣味はスキー、カメラ、ゴルフ、音楽など多数。