まんが道88年、藤子不二雄Aさん逝く 最高コンビFさんの元へ

「忍者ハットリくん」「怪物くん」「プロゴルファー猿」で知られる、漫画家の藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・えー)さん(本名・安孫子素雄=あびこ・もとお)が7日、川崎市内の自宅で亡くなったことが分かった。88歳だった。

コンビを組んだ藤子・F・不二雄さん(本名・藤本弘=ふじもと・ひろし)が児童漫画、ギャグ路線を進んだのに対し、ブラックユーモアや社会、人間の心を深くえぐった作風と違う路線を歩み、作品が実写化されるなど晩年まで活躍した。

   ◇   ◇   ◇

小学生時代からの友人だった藤子Fさんが96年に亡くなって四半世紀…。藤子Aさんが相方のもとへ旅立った。神奈川県警によると、7日午前8時40分ごろ、自宅で1人で倒れていると通報があり、死亡が確認された。藤子スタジオは「88歳で永眠いたしました。これまで応援いただいた読者の皆様、関係者の皆様に深く感謝申し上げます」とコメントを発表した。

藤子Aさんは、富山県氷見市の光禅寺住職の父を亡くし、1944年(昭19)に高岡市に引っ越し、高岡市立定塚小5年2組で藤子Fさんと出会った。漫画好きで意気投合し、高岡中に進むと漫画誌「少年倶楽部」を参考に漫画を描き始めた。手塚治虫さんの「ロスト・ワールド」に感銘を受けて漫画家になると決意。51年に「毎日小学生新聞」に送り、掲載された共作「天使の玉ちゃん」が、事実上のデビュー作となった。

藤子Fさんは高岡工芸高を卒業して就職した製菓メーカーを3日で退社したが、藤子Aさんは高岡高を卒業後、52年に富山新聞社に入社し、記者として2年勤務。ともに漫画を描き続ける中、54年に漫画家の寺田ヒロオさんの誘いを受けると、退社して藤子Fさんと上京した。東京・豊島区のトキワ荘に住む手塚さんを訪ねた日から手伝いを始め、後に手塚さんが使っていた14号室に入れ替わりで住むように。同年の読み切り作「宇宙鉱脈」から、コンビ名を藤子不二雄とした。

64年に共作した「オバケのQ太郎」が大ヒット。その後も、藤子Aさんが「忍者ハットリくん」「怪物くん」を、藤子Fさんが「ドラえもん」をそれぞれ描き、2人は藤子不二雄として児童向けのギャグ路線の大人気コンビとして認知された。一方、藤子Aさんは68年の「黒ィせぇるすまん」などブラックユーモアを利かせ、人間の心理を深掘りする大人向けの作品に取り組み始めた。作風が乖離(かいり)し始め、87年にコンビを解消も、藤子Fさんが亡くなった際は真っ先に駆けつけた。

90年に自身の漫画を原作とした映画「少年時代」でプロデューサーを務め、日本アカデミー賞で最優秀作品賞などを獲得。10年には「怪物くん」がドラマ&映画化された。15年に休載した「PARマンの情熱的な日々」が最後の作品となった。昨年4月には「トキワ荘マンガミュージアム」の内覧会に出席していた。

藤子Fさんが亡くなった際「安孫子、早く来いと言っているんじゃないかな」と語った、藤子Aさん…。藤子不二雄は、空の上で、きっと再会を果たす。

◆藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・えー。本名・安孫子素雄=あびこ・もとお) 1934年(昭9)3月10日、富山県氷見市生まれ。52年にコンビ名を「手塚不二雄」にするが、53年には足塚不二雄に改め、初の単行本作品「UTOPIA 最後の世界大戦」を出版。54年に藤子不二雄名義に。05年に文部科学大臣賞、08年に旭日小綬章、14年に手塚治虫文化賞・特別賞を受賞。