石川さゆり、俳優でデビューしアイドル歌手に そして出会った「津軽海峡・冬景色」/こぼれ話2

インタビューで笑顔を見せる石川さゆり(撮影・中島郁夫)

15歳で歌手デビューし、今年で50周年の節目を迎えた石川さゆり(64)。「津軽海峡・冬景色」「天城越え」など歌謡史に輝く名曲をお茶の間に届けて半世紀。人生を歌にささげ、常に向上心を忘れない歌謡界のトップランナーだ。

29日の紙面「日曜日のヒロイン」に掲載できなかったアナザーストーリー(一部重複)を全7回に分けてお届けする。【取材・構成=松本久】

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中3の時、テレビののど自慢番組に出場できなくなった友人の代打として急きょ歌唱し、グランドチャンピオンに輝いた。すると、すぐにスカウトをされて芸能事務所に入った。

1カ月後には早くもフジテレビ系「光る海」でドラマデビュー。意外にも芸能界での初仕事は、歌手としてでなく俳優だった。「女優というにはあまりに恥ずかしいんですけど…。コンクール(歌番組)で優勝したのが夏休みのできごとで、テレビ(の放送)は9月からですよ。芦田伸介さんとか、久我美子さん、中野良子さん、島田陽子さん。それぞれに家族がいて、私は沖雅也さんの妹という設定で半年間やりました」。

念願の歌手デビューは翌73年3月25日の「かくれんぼ」。アイドル歌手としてだった。この時、最初は「山口百恵、森昌子、石川さゆり」の“中3生の3人娘”として売り出された。だが、やがて石川のポジションは同じ白い帽子をかぶった桜田淳子に取って代わることになる。世間の視線は「百恵、昌子、淳子」の3人娘に向かい、石川は日の目を見ない毎日を送ることになった。

「確かに埋もれていましたね」。そう言った後で「当時は歌番組がいっぱいあって、音リハーサルとかカメラリハーサルとかで、アイドルとして忙しいみんなは、本番に飛び込み(で来る)なんですよ。そうすると、マネジャーさんが代わりに歌うこともあったんですけど、私は手を挙げて『私が歌います』と言って、み~んな歌っていました。どの曲も歌えたし、あのころは、歌うことがうれしくてしょうがなかった」。

アイドルとして注目をされなくても歌える喜びしかなかったという。

「そうだったんです。テレビ局のディレクターさんやスタッフの皆さんが『本当にありがとう。でも、さゆりちゃんは絶対にヒット曲が出るから』と言ってくれました。その後、『津軽海峡・冬景色』が出た時は、みなさんが応援をしてくれて、一緒に喜んでもくれた」。

そして続けた。「当時、ミリオンヒット曲はなかったけど、30万枚くらいは売れていて小ヒットでした。劇場公演もできるくらいなんです。大阪・新歌舞伎座で公演をやった時に『何の曲で(ステージの)幕を下ろそうかな。私にはミリオンはないしな…』と考えた。で、その時に出していたアルバムの中から、これは良い歌だからと歌ったのが『津軽海峡・冬景色』でした。すると、すごい反響があって、レコード会社や事務所に『シングルにしてほしい』という声がたくさんきて、年明けの1月1日に発売になってそこからワーッと広がったんです」。

「津軽-」でこの年の紅白歌合戦に初出場した。(続く)

◆石川(いしかわ)さゆり 本名石川絹代。1958年(昭33)1月30日、熊本県生まれ。73年に「かくれんぼ」でアイドル歌手としてデビュー。77年に「津軽海峡・冬景色」が大ヒットし、同年に同曲で紅白歌合戦に初出場。昨年までに紅組最多の44回出場中。代表曲に「能登半島」「天城越え」「風の盆恋歌」など。19年に紫綬褒章を受章。血液型A。