河瀬直美監督「よく生きて帰ってこられたな」東京五輪映画製作から公開までの3年半を赤裸々に語る

映画「東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B」について語った河瀬直美監督(撮影・浅見桂子)

河瀬直美監督(52)が日刊スポーツの取材に応じ、18年秋の東京五輪公式映画監督就任から、6月の「東京2020 SIDE:A/SIDE:B」公開までの3年半を振り返った。未曽有のコロナ禍で大会が1年延期され、選手への直接取材も困難になり「人々がつながり合う」というコンセプトも崩壊した中での取材、製作の内幕、そして批判にさらされた「五輪を招致したのは私たち」発言の真意まで赤裸々に語った。【取材・構成=村上幸将】

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■「1年延期となった時に、また分断が始まった」■

大役を終えた今、改めて東京五輪公式映画をやって良かったか? と聞くと「良かったです。だって完成したじゃないですか」と即答した。その言葉の裏には、19年7月に撮影を開始して以降、コロナ禍で取材自体が厳しい状況に陥った現実があった。日本国内に巻き起こった五輪開催の是非を巡る議論の中で、批判にもさらされた。

「SIDE:B」の冒頭で、大会の1年延期が決定した翌日の、20年3月24日の組織委の議論を紹介した。当時を振り返り「1年延期となった時に、やっとみんなが同じ方向を向くんだと思ったら、そこから、また分断が始まった。またその分断をあおるような、メディア(の報道)の、ある種、何かに絡め捕られた」と感じたと語った。

同4月には、最初の緊急事態宣言が発出され、国際オリンピック委員会(IOC)に提出した企画書に記した「スポーツを通じて人々がつながり合う祭典の記録映画」というコンセプト自体が難しい状況となった。

河瀬監督 練習できない、合宿させてもらえない選手がいて。選手に1人も会わせてもらえません、という事態になった。私、どんな映画を作りますか? と。

病院や医療関係者に取材するしかなかったが…

河瀬監督 社会、時代を捉える映画になるだろうから、記録としては、おいしいものを絶対、残した方が良い。組織委も日本で何が起こっていたか、もしくは自分たちが何をしたかは、ちゃんと残して欲しいだろう。

と、気持ちを切り替えた。その中でコロナ禍で揺れる組織委の混乱にもカメラを向けた。簡素な式典を目指すことを理由に、20年12月23日に解散となった開・閉会式演出チームの統括責任者だった、野村萬斎に事後、取材し、胸の内を引き出した。

萬斎 本当に物事、伝統を引き継ぐというのは難しいことで、やっぱり長くやればそこに、いろいろなものがくっついてくる。権威であるとか、利権であるとか。そういうことと、本来の精神というのが実は別であるはずなんですよね。で、やっぱり、そこにどう立ち返るかってことが、私なんかが、この式典に携わる時の思いとしては、その本質的な精神というのが、どこにあるのかっていうこと、やっぱり、それを確認しなければ単なるお祭りごとに終わっちゃう。お祭りじゃなくて、ちゃんとした祭りというかセレモニーとして、きちんと精神を伝えるということに、やっぱり集約したいなと。

萬斎 日本の文化というものを、私もそうですけれど皆が、どれくらい知っているのか、どれくらい意識しているのかというと、かなり希薄なものなんだなということが、本当に思い知らされたっていう気がしますね。ですから今、ずっと話していた伝統という線、線の中の一点に自分がいるという感覚を、それはもう、組織にいる人々、電通の人々、もちろんクリエーターのディレクターたちもですね、ほとんど意識してないんだなっていうことに驚きましたね。

■渡辺委員「メディアも含めて日本はムラ社会でしょう」■

また昨年2月に、組織委の森喜朗会長が「女性が、たくさん入っている理事会は時間がかかる」などと不適切発言をし、辞任した件については、国際オリンピック委員会(IOC)の渡辺守成委員から、印象的なコメントを引き出した。

渡辺氏 組織委員会はムラ社会って言いますけど、海外から見る人間からしたら、メディアも含めて日本はムラ社会でしょうと。グローバルスタンダードになってない。まあいい機会だったと思うし。こんなこと言ったら失礼かもしれないけれど、森会長の失言というのは、オリンピックを開催する以上に日本にとってプラスになったのかもしれない。

一方で、自らの発言で世の中から厳しい批判を浴びた。コロナ禍で飲食店をはじめ、さまざまな業界が自粛や制限を強いられ、東京五輪を開催するのは、いかがなものか? という声も少なくない中、21年6月に出演したテレビ番組の中で、有観客での開催を主張。そのことに「五輪映画は期待できない」「国のプロパガンダ映画だろう」など反発の声が上がった。

さらに、昨年末にNHK BSで放送されたドキュメンタリー「河■(■は瀬のオオガイが刀の下に貝)直美が見つめた東京五輪」の番組内や会見などの場で口にした「日本に国際社会から五輪を7年前に招致したのは私たちです」という発言に対して、「自分たちは五輪を招致していない」など批判の声が相次いだ。「-SIDE:A」公開前の5月23日に都内で開かれた完成披露試写会の会場前には、公開に反対する横断幕が掲げられる事態となった。なぜ、そのような発言をしたのか?

河瀬監督 私たちという言い方は、そこだけ切り取られれば日本全国民というふうに捉えられて当然なんですけど。反対派がいらっしゃったり、福島に代表されるような東日本大震災の被災地を思った時は(招致したのは私たちと)一概には言えないと思います。ただ『日本が選んだ』というふうには思っていて。『ある一部の政治家が決めたんじゃないか』『僕たちは選んでいない』と言われるかも知れないけれど、その政治家を選んでいるのは自分たち。この国で暮らして、ある種の保険やら、さまざまなことを受けて生きているのも自分たちだったりすると…。いろいろな考え方があるんですよ。

森氏の辞任や自らへの発言へのバッシング…その根本には、渡辺氏が指摘した、ムラ社会的な日本の体質があると考えている。

■「失敗を、成功に変えていく未来…そういう形の考え方を」■

「『SIDE:A』が上映されるカンヌ映画祭に行った時も、私をたたくような記事、報道が出ました。成功しているように見える人の足を引っ張ることで、心の安定を保つ人は、SNSが出てきたからとか、そういうことではなく、いつの時代にも一部、いらっしゃると思うけれど、何で日本人同士で足を引っ張らなきゃならないのかなというふうに思って」

河瀬監督は、コロナ禍に見舞われた東京五輪を取材してきた中で、日本は変わらなければいけないと強調する。

河瀬監督 コロナは答えを与えないので、みんなが、そこに入り込んで答えを出していかなきゃいけない事態になっていた。みんな、今まで思っていたけれど、浮き彫りにならなかった問題が、すごい浮き彫りになって。解決しなきゃ、どうしようもない事態になっていたというのがあります。本当は、これを機に、みんな、そこを変えていかなければならない。本当に行動を変容させて、日本人が今、課題になっていることを変えていかなきゃいけない。

その上で、日本が変えていかなければいけない、具体的なポイントを口にした。

河瀬監督 失敗を、成功に変えていく未来…そういう形の考え方というものを、みんなが持たなきゃいけない。開・閉会式演出チームの解散や森会長の辞任も、みんな間違ったら、たたいて終わり、というふうになっている気がして。映画には入れてませんけど、森さんだって多様性の一部、という人がいた。森さんを生かすも殺すも、みんなであるんだろうなと。森さんのような人は、良い意味でも悪い意味でも、他にはいないじゃないですか? 生かしていく形は、なかったのか。間違っても、じゃあ、どうすれば改革できるかというところまで、みんなが真剣に考え出す日本でありたい。

19年7月に取材、撮影を開始し、開催に至るまでの750日の取材で、撮影した映像は5000時間。「-SIDE:B」の編集は「SIDE:A」公開直後までかかり、日本語字幕などを付け終えたのは24日の公開目前だった。河瀬監督は、東京五輪公式映画の製作から公開までをこう振り返る。

河瀬監督 死ぬかと思いました。いばらの道…よく、生きて帰ってこられたな、みたいな…ね。自分の人生だから、自分にしか、そのつらさとか分からないじゃないですか? そんなもの、言葉で伝えても…。

そう苦笑いした。

IOCからは、市川崑監督が手掛けた64年の東京五輪記録映画「東京オリンピック」(65年)を引き合いに「市川崑の時代に立ち返り、あなたしか撮れないものを撮って欲しい」と依頼があった。その声を受けて、コロナ禍のみならず、復活をかけた日本柔道、母親となったアスリートと五輪との向き合い方など、自身の作家性を前面に押し出し、人間ドラマも織り込み、単なる記録を超えた映画を作った自負はある。

一方で、動員は低迷し、1950万人を動員し、大ヒットした市川監督作品には遠く及ばない。「ドキュメンタリーを劇場で見るクセが日本の皆さんには、ついていない。去年の五輪は困難だったねというところに、なかなか興味を持てないところもあるのかなぁ」と失望を口にする。

それでも、こう続けた。

河瀬監督 私自身が信じるものを、私自身が描くということを貫き通すだけ。予想していなかったことが起こるのも、その中で私の心も揺れ動かされるのもドキュメンタリー。予想していないことが、きっと起こるだろうなという意味で、絶対に諦めない気持ちの中で、完成まで導いてきました。

東京五輪公式映画が終わった後も、休む時間はない。「2025年大阪・関西万博3年前イベント~テーマ事業『いのちの輝きプロジェクト』」のプロデュサーや、自身がエグゼクティブディレクターを務める「なら国際映画祭」での後進育成…河瀬直美は、振り向かずに、前に進む。

◆「東京2020 SIDE:A/SIDE:B」 河瀬監督は1年延期が決まった20年段階で、IOCのバッハ会長に選手と大会を中心に1本、大会関係者、市民、医療従事者らを描く1本と、異なる視点からの2作品の製作を提案、了承を得た。「-SIDE:A」では、再生に挑む日本柔道界、母であることと競技者であることに葛藤する女性選手、難民選手などを描いた。「SIDE:B」では、1年延期で議論、奔走する組織委からデモ隊と対話を試みるバッハ会長、無観客開催決定や女子マラソン開始時間の1時間前倒しなどの舞台裏を描いた。